今回お集まりいただいたのは、中国に料理留学をしたシェフのみなさんです。まずは自己紹介をお願いします。

高木 ――「馥香(フーシャン)」の高木です。私が留学したのは1988年、今から25年前、39歳の時でした。場所は台北で、最初が「馥園(フーエン)」 次に「陶陶(タウタウ)」、最後に「逸香園(イーシャンエン)」という店です。それぞれ約3ヶ月ずつ、ちょうど1年弱の留学でした。

「馥園(フーエン)」は当時台湾で最高峰の広東料理の店で、次に行った「陶陶」は上海料理の店。ここは三重県伊勢の赤福さんが60%投資していて、ものすごく流行っていましたね。当時1日の売上がだいたい300万だから、そりゃあ忙しかったですよ。今はもう台北にはなくなりましたが、伊勢に同じ名前の店があります。

そして最後に入った「逸香園(イーシャイエン)」も上海料理ですが、こっちはサラリーマンの多い庶民派の店。当時は台湾が大きく経済成長しているときだったから、景気がよく、活気があって、三店三様の経験をしました。

私にとって留学は技術の習得という目的もあるけど、やはり友だちを得たことが一番の財産です。自分の親は21歳で死に別れたけれど、当時一緒に働いた仲間とは25年以上も続く仲。まさに親より長い付き合いですよ。先だって台湾に行ったときも、みんな待ち構えてくれているなんて、嬉しいですよね。そういうことで、ひとつよろしくお願いします。

小林 ――「桃の木」の小林です。僕は香港で1999年に約4ヶ月、「農軒(ノーヒン)」という店で働きました。ここは福臨門系の方がやっていた広東料理店で、九龍のハーバーシティーの中にある、約80席の店です。

ここの調理場はすごくシステマチックで、日本のホテルよりもっとハッキリとセクションが分かれていました。隣接しているホテルの宴会で出す料理もここで作っていて、厨房には常時15~6人、点心師だけで4人はいたかな。

僕はここで水台(ソイトイ)というポジションで、野菜や肉の下処理をしたり、ふかひれを戻したりする、基礎的なことをさせてもらいました。

陳 ――「赤坂 四川飯店」の陳建太郎と申します。僕はちょうど2005年から約2年半四川省に留学しまして、ご縁があって「菜根香(ツァイゲンシァン)」という大型店にお世話になりました。それ以来、食材の輸入や視察とともに、成都にあるこの店には、最低でも年に1度は訪れています。おかげさまで、現地でできた友人たちとは今もずっと交流が続いていますね。今日はどうぞよろしくお願いします。

「馥園(フウエン)」

というわけで始まった留学シェフ座談会。それぞれに留学した時代も場所も違いますが、「本場で学びたい」という強い志は皆同じです。次回のテーマは「なぜ私は留学したのか?」。留学に至るまでの経緯と時代背景を語ります。

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Text 佐藤貴子(ことばデザイン)
Photo 林正