中国語料理修行の前に留学でぶちあたる壁「語学」について語ります。

厨師的中国語マスター法

――建太郎シェフは、厨房への料理留学だけでなく、四川大学への語学留学もセットにされていたのですよね。 

陳建太郎氏
陳建太郎氏

陳―― まずは言葉が話せないと意思の疎通が難しいですからね。それと、ビザの問題があったんです。向こうの店からお給料をもらうわけじゃないですか。その就労ビザ取るのが大変なんです。

一方、留学ビザだと1年間とか長い間取りやすいですし、四川大学には外国人留学生に向けて、中国語習得を目的としたプログラムがありました。学生には、韓国や東南アジア、欧米の人など150名くらい。日本人は少なかったですね。実際は学校じゃなくて、ほとんど調理場にいたんですけど(笑)

――では大学は出席しなくても、単位は何とかなる…?

陳 ――それはまずいじゃないですか(笑)。でも、話せるようになることを目的としたプログラムなので、単位…つまり試験は大丈夫でした。「お前、なんで学校に来ないのに言葉がしゃべれるんだ?」と言われましたけどね。

――つまり、調理場で覚えたということですね。

陳 ――はい。でも僕の中国語はなまってるんですよ。調理場は激しい四川なまりでしたから。僕は毎年台湾にも行くんですが、おかげでいつも「お前どこの出身だ?」と聞かれます。香港でも突っ込みが入りますね。話すと「どこの奴だ?」と聞かれて「日本人だ」というと、皆「はぁ?」ってなる。

――でも、最初はほとんど話せない状態で行ったわけですよね。

マクドナルド
中国のマクドナルド

陳 ――話せないというか、通じない。最初は本当に大変でした。日本で食べられる普通の味が恋しくて、マクドナルドに行っても全然伝わらない。単品でハンバーガー3つ頼んだのに、セットで全部来たり…。そんなのばっかりでした。

高木――やっぱり、まずは準備として中国語の勉強は必須です。長く滞在できる場合はいいけど、短期間で行くんだったら、言葉がわかっていればすぐに入っていける。向こうの調理場に行っても、しゃべれなくてただのお客さんで終わっちゃ意味がない。中国人が日本語しゃべれるわけじゃないんだから、「何か仕事ありますか?」とか「仕事をください」とか、そういう言葉を覚えて話しかけないと。

――丸暗記して役立つこともいっぱいありますよね。

高木――そうですね。でないと、彼らは仕事なんかくれないですよ。コミュニケーションをとってこない奴に世話をするなんて面倒なことをするわけがない。やっぱり言葉を覚えてやっていけるようにすることが大切です。

僕は27歳のときから独学で、NHKのテレビ講座を聞いて勉強しました。いまだにテキストがごっそり取ってありますよ。当時、放送は朝7時半くらいからやっていてね。で、ちょうどその頃、うちは子どもが生まれたばかりで、あまりにも泣くもんだから、女房に「うるさいから表に30分だけ連れて行け」って言って、自分は家で勉強して(笑)。

やり方は、聞いて、書いて、とにかく書くことです。おかげで、しゃべれるだけじゃなく、書けるようにもなりました。今も時々、テレビ講座は夜中に見ています。

――小林シェフは広東語になりますが、どのように勉強されましたか?

小林――千島英一(ちしまえいいち)さんの本ですね。千島さんは広東語のテキストを何冊か出されている方で、広東語といえばこの人ってくらい定評があります。

小林武志氏
小林武志氏

それと、僕も高木先生と同じく、NHKの中国語講座を聞いていました。20年くらい前、中国語講座の中で5分間だけ広東語を教えるコーナーがあったんですよ。 どうも運よく1年間だけ、そういう企画の年があったんですよね。広東語はもっぱらその番組と千島さんの本です。また、北京語は辻調時代に勉強していました。

あとは、香港から日本に来ている留学生の友達を作って一緒に出掛けたり、ごはんを食べに行ったりしていましたね。一緒にいればいろいろ会話もしますし、間違った言い回しを訂正してもらえたりもしますから。

高木――友だちを作るにも、いくらか言葉ができれば入っていけるし、できないとなかなか入っていけない。やはり言葉は大切ですよ。

小林――広東語は地方の言葉になるので、それほどメジャーではありませんが、陳さんの四川語はもっとマニアックなところなんじゃないですか?

陳 ――そう思います。ある程度北京語を勉強していっても、地方によって方言があります。台湾だって、北京語は通じるけど、本来の台湾語とはまた違ってくるように、北京語を勉強して、学校の先生とはそれで話せても、四川の調理場のスタッフとは通じなかったりします。

小林――それにしても2年も行けるってすごいですよね。

陳 ――実は最初、あっちに降り立ったときは「無理だ」と思ったんです。店に入ると「何だこの日本人は?」っていう空気をビシバシ感じましたしね。行って暮らして初めてわかったんですけど、四川省の方は反日感情が強いんです。

それで、始めの頃はかなりいじめられて「いじめられるってこんなに辛いんだ…」と思ってたんですが、だんだん「こうなったら意地でもやってやろう」って感じになってきて。そうしたら、いいところも悪いところも面白くなってきて、もっと知りたくなってきた。それで最後には「中国人っていい奴だな」みたいな感じになって…(笑)、日々そんなことの繰り返しでした。

結局は、向こうの人と仲良くなっていくことが大切なんですよね。相手に「聞いてやろう」という気持ちが起きれば、言葉や発音がめちゃくちゃでも通じますし、話の最初と最後だけでなんとなく類推してもらえるようになるし。だから、最終的にはどれだけいい関係を築けるかどうか。僕は時間があったからうまくいったと思います。

高木――陳さんも言っているけど、お互い話をしていくうちに、理解しようとするじゃない?俺の店にも中国人がいるけど、向こうが50%の日本語を理解して、こっちは50%の中国語を理解する。それを合わせたら100%になる。僕は異文化コミュニケーションっていつもそういうものだと思ってるね。

だから、できなくてもしゃべる勇気が必要。間違ってもいい。間違ってるから恥ずかしいっていうんじゃなく、しゃべる勇気がすごく大切。あとは、学校に行かないからできない、仕事をしているからできないって自分に言い訳せずに、自分のやれる方法で学ぶべきだと思います。

陳シェフと高木シェフ

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異文化に入っていくのに重要な考えが「郷に入りては郷に従え」。まずは北京語をベースに学び、現地で自分が訪れる地域の言葉に馴染み、話せるようになることで、道が開かれていくようですね。
そして、言葉ができれば友人を作るきっかけも、厨房に入るきっかけも掴めるもの。話せるようになれば、「現地流」がどういうものなのか、より深く知り、体感することも可能になります。
さて、次回はシェフたちが現地の厨房で体験した日本との違いをご紹介。中国料理の本場で受けたカルチャーショックはどんなものだったのでしょうか?

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Text 佐藤貴子(ことばデザイン)
Photo 林正