トラブル時は、予約してくださった時の気持ちを考えて

「ある時、年配の女性と、若いカップルが隣のテーブルになったことがありました。それがしばらくすると、年配の女性の顔色が曇り、若い彼女が泣き出してしまったんです。

どうやら若い彼女のマナーが気になったらしく、注意をされたんですね。それで男性は『もう帰る』と席を立とうとしていました」

普通ならそのカップルはそのまま帰ってしまうでしょう。しかし、ここで熊谷さんは機転をきかせます。

「奥の個室が空いていたんです。そこで、『もしよろしければ、気分が落ち着くまでお座りになってください』とお誘いし、温かいお茶をお出しました。

おふたりはもう食事もいらないと仰っていたんですが、元々はお食事を楽しみにいらしてくださったはず。『おいしいお料理がありますから、ぜひどうぞ』と、落ち着いた頃を見計らってお声がけしました」

熊谷泰代さん

「男性は、彼女が喜ぶ顔を見たいというのがまず一番にあって店を選んでくださったのでしょうし、悲しい思い出のままにはしたくなかったんです。
結局ふたりで相談されたあと、お食事を召し上がることになり、店を出る際には、男性からお礼を言ってもらえました」

「チーム『飄香』が中国料理の伝道師になる」という意志

それにしても、なぜそこまで動けるのでしょう? 話を聞いていると、その原動力は井桁シェフの大ファンだからだと感じてきます。

「私は、中国料理というより、井桁シェフの料理にはまっちゃったんです(笑)。本当に美味しい料理だからこそ、ベストな状況で召し上がっていただきたい。

それに、シェフと接していると、料理への情熱や中国の食文化を重んじている姿勢がすごく伝わってくるんです。そんな想いを伝えるのもサービススタッフの仕事。料理の意味を私たちが代弁する必要もありますし、お客様も料理の背景を知ってからの方が、より深く、興味を持って召し上がってもらえると思っています」

確かに、ディナーで訪れた際、オーダーした“よだれ鶏”を目の前に、熊谷さんが話す料理の裏話を聞いていたら、抑えられないほどはやる気持ちに! もう何百回と出している定番メニューでも、お客さまが変われば、また新鮮なコミュニケーションができるのだそう。

熊谷泰代さん

「毎日営業していても、同じ日は二度とありません。どのお客さまとも一期一会の気持ちで店に立っています。ニーズに応えられるだけでなく、予想を上回る喜びをご提供できるようにしたい。それが結果的に、中国料理の食文化を多くの人に知ってもらえることに着地すれば最高ですね。なので“中国料理の伝道師になる”という目標を持って働いているんです」

そんな熊谷さんの話を聞いて、食後、店を出るときのことを思い出しました。熊谷さんは私たちをエレベーターに誘導してくれ、「ありがとうございました」と自動ドアが閉まるまで頭を下げていました。

そして「美味しかったね」と話しながら地上に出て歩き始めた私達が目にしたのは、店内に戻っていたと思っていた熊谷さん。階段で先回りして待ち、「ありがとうございました。おやすみなさい」ともう一度挨拶をしてくれたのです。

その笑顔を見たら、社交辞令ではなく「また来ますね」という言葉が出てきました。それは、美味しいだけにとどまらないパーソナルな思い出です。リピートしたくなるのは、その店にしかない時間。熊谷さんはそんな時間を作る達人であります。

熊谷泰代さん

熊谷泰代さんのいるお店

中國菜・老四川 飄香 麻布十番本店
飄香 麻布十番本店

東京都港区麻布十番1-3-8 FプラザB1(地図
TEL/FAX 03-6426-5664
ランチ  11:30~15:00(L.O.14:00)
ディナー 18:00~23:00(L.O.21:30)
定休日:月曜日・第3火曜日

 


TEXT 大石智子
PHOTO 丸田歩(人物・料理)、老四川 飄香 提供(店内)