好評シリーズ第3弾は、日本を代表する中国料理店、Wakiyaグループでサービス部門を統括する萩原清澄さん。要人の密談から祝いの場まで、数々の現場を経験したサービスマンの視点とは――?

サービスマンは30歳で給料が止まる?

「僕、若いスタッフには『サービスマンは30歳で給料がとまる』と、わざと話すんです。30歳までは成長期。できる人はある程度のところまでいき、マネージャーになれるかもしれません。でも、そこからさらに40歳までには、新たな利益を生む人になる必要があると思うから。

例えば、自から企画を仕掛けるプランナーになるというのも一案です。そういう必然は、他業種の人とお付き合いしてきて感じてきたこと。店にいたままだと、そこそこのポジション、そこそこの給料で満足してしまう。

人づき合いや他業種の方との会話で、新たな情報や価値観を仕入れ、自分の考え方を変える。店の狭い空間から出ないままだと、お客さんが何を言っているのか、何を望んでいるのか掴みづらくなると思います」

萩原清澄さん

人の懐に入れば世界が広がり、人と人との繋がりが生まれる。

30代で頻繁に外に出ていた萩原さんが感じ始めていたのが“サービスマンという仕事があまり知られていない”ということ。そこで36歳の時に始めたチャレンジがセミナーの開催でした。

「サービスの仕事内容はとても伝えにくいもの。多くの方はサービス業でアルバイト経験があり、通ってきた道の割には、その専門性や本質は知られていません。サービスマンの仕事はただ料理を出すだけではなくて、知的なものだと広めたいと思うようになりました」

「本質的なところに触れているサービスマンは案外少ないと思います。みんなお客さまにあと一歩踏み込まない。でも、懐に入った繊細なサービスは、人と人の繋がりになる。世界が広がります。それをはっきり伝えていく人がいないので、すでに“変わり者”と言われている僕ならやっていいかなと。

また、10年以上サービスの仕事に携わるなかで、一流の方々の気遣いを目の当たりにし、人とのつき合いとは何かを肌で感じてきたんです。名刺交換のタイミングや接待の作法、手土産、会話の内容…。そういった感動したエピソードも伝えたい。

友人にその想いを話したら、他業界の人を集めてトークセッションをやったらいいんじゃないか、ということになりました」

萩原清澄さん

キーパーソンに直談判。熱い情熱が人を動かす。

軽い気持ちのセミナーではありません。脇屋シェフにも「ある程度、目をつぶってください」と了承を得て、尊敬する顧客に自分が今後どういうことをしていきたいのか、10枚に及ぶ熱い手紙を出しました。自分のサービスマンとしての想いを、直接、正確に伝えたかったのです。そして「ぜひ応援してください」と。

「攻撃的なことをしていますよね(笑)」

そう本人は笑いますが、そんなことをするサービスマンは他にいないはず。サービスマンに限らなくとも、萩原さんの行動は群を抜いて熱いのです。その熱さが、国内トップクラスのリーダーである男たちの胸に響かないわけがない。「接待の勉強のために部下を送る」と次々に返事がありました。

しかしひとり、幻冬舎代表取締役社長・見城徹氏からは連絡がありません。萩原さんが反応を気にしていたころ、予想だにしない返事がきます。

「本にしませんか?」

そうして完成したのが冒頭の著書『サービスマンという病い』。本の出版は、“サービスマンのブランドを上げる”という萩原さんの目標の一歩となったのです。


TEXT 大石智子
PHOTO 永田忠彦