香港ワーホリ料理修行への道

日本と香港の間にワーキング・ホリデー(以下「ワーホリ」と略)制度が誕生したのは2010年1月のこと。外務省のサイトによると、2016年1月現在、香港での受け入れは年齢30歳以下・年間250人という狭き門ですが、査証が発給されれば、1年間の滞在が許可されるのは魅力的ですよね。

この査証をどう使うかは自分次第。ワーホリというと「ゆるく働き、ほぼ遊ぶ」もしくは「資金尽き果てて帰国」という方もいる一方で、目的を持って渡航すれば、夢の実現に繋げることもで可能です。

そこで今回ご紹介するのは、香港のワーホリ制度を利用して、料理人としての武者修行に挑んだ佐伯悠太郎さん。

佐伯悠太郎さん
佐伯悠太郎さん

佐伯さんは「福臨門酒家 大阪店」や「新宿三井ビル聘珍樓」などで腕を磨き、「広東料理の技と味が集結する香港で学びたい」と2014年、29歳で渡港。1年間で香港の厨房を4か所、さらに広東省でも厨房に入って料理や食材について学び、2015年の秋に日本に帰国しています。

外国の料理を手掛ける料理人にとって、その料理の本場で学びたいという想いは多かれ少なかれきっとあるはず。勇気を持って飛び出した先には、どんな日常が待っていたのでしょうか――?
①導入&名店編、②仔豚丸焼き&ホテル編、③広東美食巡りと突撃研修編、3回シリーズでお届けします。

香港ワーホリ料理人

①【導入&名店編】香港ワーホリ料理修行への道
② 【仔豚丸焼き&ホテル編】名門「鳳城酒店」で仔豚を焼く
③【広東美食巡り&突撃研修編】広東省21市旨いもの巡りの旅

まじめに働こうするとハードルが高い?香港ワーホリの現実

ワーホリというと、海外生活を体験するための手段として申請する方が多いかもしれません。しかし、僕はかなりガッツリ働きたいと思って香港に行きました。その理由は、誰かがアレンジを加えた広東料理ではなく、現地で食べられている味を学びたかったからです。

24歳で香港の厨房に入れさせてもらい、広東料理にのめり込み、本気で行きたいと思うようになってから、実現するるまでに約5年。
その間、僕より前に香港ワーホリ経験者の方に話を聞かせてもらったり、現地の言葉に慣れるために、インターネットで広東語の先生を探し、2か月ほど広州に行き、マンツーマンで学んだりして準備をしていました。

香港のワーホリの受け入れは年間250人で、必要なものはパスポート、預金証明、滞在期間の保険加入証明です。預金証明は最低20,000香港ドル(注:2015年11月のレートで約32万円)の銀行残高の証明のこと。僕が申し込んだ時は、人数が上限になる前であればいつ申請してもよく、7月に申請して、8月に査証が出ました。

香港査証
佐伯さんに届いた香港ワーホリの査証。メールで送られてくるそうです。

しかし、いざ本腰を入れて働くとなると、ちょっと難しいところもあるんです。それは、香港のワーホリは、同一雇用主の元で3ケ月以上は働けないことになっているからです。

これがけっこう大変で、働いたかと思うと、また次の職場を探して…ということの繰り返し。僕はいろんな方のサポートのおかげで、4か所の厨房で働くことができましたが、3カ月に1度は店を移動しなければなりません。給与については「もらえたらラッキー」くらいの気持ちでしたね。結果的にどの店でもいただくことができました。

青衣エリアの風景

骨香(グワヒョン)溢れるスープが秀逸!香港聘珍樓

最初に入った厨房は、銅鑼湾(トンローワン/Causeway Bay)の「聘珍樓」です。
実は24歳の時、ここの厨房に2週間ほど入れていただいたことがありました。その時は広東語が全然できなくて、手伝えることがあったら手伝うという感じだったため、悔しい気持ちもあって…。それだけに「いつか必ずここに戻って来たい!」と思っていた厨房に、また入れてもらうことができたのは感慨深かったですね。

香港聘珍樓の料理は、香港家庭料理を高級にした感じといったらわかりやすいでしょうか。例えば、ハタのヒレと湯葉の煮込み(紅炆斑翅)、ハタの炒めもの(家郷炒斑球)、干し魚と豆腐と茄子の煮込み(鹹魚豆腐茄子煲)、牛ひき肉と香菜のビーフン炒め(牛崧芫荽炆米粉)、季節によっては雑炊風の料理(八寶瓜粒湯飯)などに聘珍樓らしさを感じます。
また、日本から逆輸入した中国料理店ですから、岩手県産の生帆立など、日本の食材を使った料理もウリになっていました。

僕がここでやらせていただいたのは「尾鑊」(メイウォッ)といって、お客さんの料理、賄いづくり、打荷(ダホ:鍋を振る人のサポート)などを担う係です。お願いすればいろんな料理を味見させてくれましたし、昼の仕事が終わった後は、みんなで下午茶(ハーンーチャー)に行ったり、牛モツ麺を食べに行ったり、チームワークのいい職場でもありました。

煲仔飯
聘珍樓の冬の賄いのひとつが煲仔飯(ボウジャイファン)こと、具乗せ土鍋炊き込みごはん。鶏肉やもみじ、腸詰などがたっぷりのっています。

また、途中で「人手が足りない」とのことで、中環(ジョンワン/Central)の店舗にも1か月ほど行かせてもらいました。この店では、ハタのアラと茄子を「麺醤」という味噌で煮込んだ土鍋料理(麺醤茄子炆海斑仔)がおいしかったですね。ハタを骨付きのまま一度揚げてから、湯葉と一緒にオイスターソースで煮込むんですが、魚の骨から出る「骨香(グワヒョン)」と呼ばれる香りがたまらないんです。思い出すと、また食べたくなりますよ。

中環の料理人たちもすごくフレンドリーで、「宵夜(シウイエ)」、夜食によく連れていってもらったのはいい思い出です。そのメンバーの中には、僕が5年前に香港の聘珍樓に来ていたことを覚えていてくれた人もいて「お前広東語うまくなったな!」なんて言ってもらえたのは嬉しかったですね。とはいえ、まだまだ広東語もろくに話せない僕と、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれて、香港人って優しいな…と感じた職場でした。

陵發潮州白粥
夜食スポットの中でも大好きだった潮州惣菜店「陵發潮州白粥」の夜食。夜食の定番は写真のような潮州打冷((チウジャウダーラーン)や、十吓十吓(サッパサッパ)、または打邊爐(ダーピンロー)と呼ばれるしゃぶしゃぶです。

大阪時代の伝手を辿って、名店「家全七福」の厨房へ

聘珍樓を終えて、次に入った厨房は「家全七福」です。ずっと香港の「福臨門」に憧れていた僕は、ここで毎朝社長と顔を合わせて「早晨(ジョウサン:おはよう)」と挨拶できることがすごく嬉しくて、それがここで働かせてもらうモチベーションにも繋がっていました。(注:「福臨門」と「家全七福」は兄弟による別々の経営です)

料理長の陳さんは、僕が「大阪福臨門」にいたとき料理長としてお世話になった方で、現在は香港、深圳、北京、上海などに広がる家全七福グループの総料理長も務めている方。料理はふかひれ、干しあわびなどの乾物を使ったものや、蒸しスープがウリ。海鮮も得意ですし、懐舊菜(ワイガウチョイ)と言われる伝統的な広東点心、広東田舎料理もあります。
ここでは、僕は打荷(だほ:鍋を振る人のサポート)として、時には皆の夜食も作りつつ、料理長の後ろで鍋さばきや作り方をずっと見させてもらっていました。

雞子戈渣
雞子戈渣(ガイチーウォーザー)。鶏の睾丸と鶏卵の黄身を上湯(ショントン:上等なスープ)と合わせ、コーンスターチで固めて揚げたもの。コクのあるクリーミーな味わいと、ほろほろと崩れる食感の妙が楽しめる、伝統的な広東料理。
滷水豬腳仔
滷水豬腳仔(ロウソイジューギョッチャイ)。仔豚の蹄(豚足)だけを集めて煮込んだ料理。「仔豚の料理をやるたびに、蹄だけとっておいて、まとまったら煮込む。無駄なくおいしいものを作ろうとする、こういう料理が大好きです」(佐伯)

食材は余すところなく使い切り、レシピではなく舌で仕上げる

ここの社長は経営熱心で、味に非常に厳しい方でした。毎日店に来て、必ず料理を味見し、意見を言うんです。全てにおいて、目をしっかり光らせていますし、いい食材や珍しい食材が入れば、すぐ常連さんに連絡する。そして誰に、どの部位を、どんな風に調理して出すのかも社長が決めます。

例えば、鱔皇(シンウォン)という超特大のウナギが入荷した時は、頭と尾はスープ、実はぶつ切りにして煮込み、内臓は炒めものに…という風に、お客さんに部位を振り分け、すべて別の料理にして使い切る。

特に蒸したスープは記憶に残るおいしさで、数時間後に思い出しても、今思い出しても、ああ、うまかったな…という余韻が残るような感じ。魚の頭を蒸しスープにする場合、天麻(ティンマー)、川芎(チュンゴン)、白芷(バッジー)といった乾物を合わせるのが定番。そして、上湯をベースにしつつも「家全七福」独自のスープの配合がありましたね。

また、スープは同じように作っても毎日違う味になりますから、それを調整して、その日、その食材に合わせた味を決めていくのですが、レシピではなく、舌から生まれた味は、理屈を超えたおいしさがありました。

超特大のウナギ
超特大のウナギ・鱔皇の頭。魚腸(ユーチョン)や魚扣(ユーカウ:胃袋)も余すことなく食材に。

ここは常連さんが本当に多くて、彼らのチップがすごかったのも驚きました。チップは毎月従業員に分配する仕組みがあって、一番下っぱの僕でも、毎月けっこうな金額がもらえます。ここは予定より長い滞在になって、4か月間いさせてもらいました。

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