日本で初めてシウマイを販売した「博雅亭」の伝統を受け継ぐ「ヨコハマ博雅」

日本で初めてシウマイを出したといわれる店は「博雅亭」。長らく伊勢佐木町の商店街入口近くにあったこの店は、明治14年(1881年)、広東省出身の鮑棠(ほうとう)氏が横浜居留地で創業しています。

明治32年(1899年)に伊勢佐木町に移転すると、横浜のシウマイといえば「博雅亭」というほど評判に。『はまれぽ!』によると、「1922(大正11)年には、 豚肉に北海道産の乾燥貝柱と車海老などを加えた海鮮シウマイが人気を集めた」とあり、貝柱入りシウマイのルーツも感じます。

しかし、惜しくも後継者不在で1980年に閉店。親戚筋が野毛に姉妹店「博雅茶郷」を開いてブランドを支えてきたものの、2008年にはデパートの食品売り場に構えていた販売店もなくなってしまいました。

各方面の話を聞くと、「博雅亭」のシウマイに共通する特徴は「でかい」。そして、みんなが口をそろえて「美味かった」と言うじゃありませんか。

そこで往年の「博雅亭」の味を求め、足を運んだのが横浜の下町、六角橋商店街のさらに奥。「博雅茶郷」の志を受け継いだ職人さんがしっかり手作りを続けている「ヨコハマ博雅」です。

「ヨコハマ博雅」外観。東急東横線白楽駅から、横浜の旧市電終点の六角橋を抜け、のんびりあるいて20分。80C(ハオチー)記事を書くことがなければ、来なかっただろうなあ。

店を訪れると、オーナーの彭さんが「国産のいいお肉を使っているから美味しいよ」と製造コーナーから笑顔を見せてくれました。奥には小さなシウマイ工房があり、手作りできる規模で誠実に作っていることが伝わってきます。

博雅のシウマイ。原材料はシンプル。合成添加物なし。

持ち帰ってさっそく蒸すと、博雅譲りの大きめのシウマイに、肉がぎっちり詰まっていました。肉の臭みや脂っこさはなく、軽く口から喉に落ちていく食べ心地。主張の強い味を好まなかった昔の人向けであろう穏やかな風味でありながら、古びない味わいです。

博雅のシウマイ。横に広く背は低く、饅頭を小さくしたような形状が特徴。

一般的に広東シウマイは樽型ですが、「ヨコハマ博雅」のシウマイは横に広く縦に薄め、饅頭を小さくしたような形状が特徴です。一方、年配の人から聞いている「博雅」のシウマイは「横から見ると長方形ですごい迫力がある」とのこと。この形を見るに、過去に一度製造が機械化された際、高さや形の寸法が変わったのかもしれません。

しかしこれが、あの「博雅」のシウマイの味やかたちなのでしょうか。

ひとまず形は証言に近いような気もするが、裏付けになるような経験者の話はないか? 自分が知る限り、横浜の名店のひき肉を使った点心は、ぎりぎりまでふわっと柔らかくする技を競うことが多いが、これはお惣菜向けのぎっちり系。元祖もそうだったのか…? いろいろ疑問もわいてきます。

そこでさらにリサーチを進めると、私の写真を見た横浜のお医者さんが、子供時代に「博雅亭」に家族で通っており、その味を覚えているというではないですか!

その彼曰く「高級店で、伊勢佐木町で親の買い物の最後によく行った」「子供の目から見てゴツっとでかくて、肉肉しい感じがした」「伊勢佐木町の『龍鳳』のシウマイの味が、記憶の中の『博雅亭』の味に近い」とのこと。

また、伊勢佐木町の長老、吉田町のお茶屋さん「田中屋茶店」の80歳を超えた大旦那は「博雅亭のシウマイか?あれは最高だった!」「でかかったよ、確かにでかかった」「シウマイは固くはなかった、柔らかかった」と話してくれました。やりとりを隣で聞いていた上品な老婦人も「そうそう、大きかったわね。それでもって柔らかかったわ」と賛同の声。

横浜市立中央図書館で、資料をひっくり返して見つけた古い記事の中では、「博雅亭」では毎朝テーブルでオーナーの鮑博公と従業員総出でシウマイを包んでいた。具材は高座郡産の豚と貝柱が決め手で、鮑博公氏が研究を重ねて生み出した、とあります。

料理屋がその日に売り切るのであれば、持ち歩きや保存は考えずに、ぎりぎりまで柔らかくふわっと仕上げるのではないか……? そう考えると、ようやく答えが見えてきました。

すなわち、見た目は現在の「ヨコハマ博雅」にあり、味は横浜シウマイ発祥の地・伊勢佐木町「龍鳳」にある。

筆者の横浜シウマイのルーツを探る旅は、横浜を片っ端から回り、シウマイ探しの旅のきっかけとなる言葉をもらった出発点に戻ったのです。

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