貴州の発酵食文化の神髄がここに!酸湯魚(発酵トマトスープ煮)

貴州料理といえば、真っ先に名が挙がる酸湯魚。見た目からは推し量れない味なのだ。

酸湯魚(スアンタンユィ)は、恐らく中国全土で最も知名度の高い貴州料理だ。実を言うと、貴陽市のお隣の凱里市の名物料理とされることが多いのだが、貴州省東南部一帯で食べられているのは確かだし、貴州の発酵食文化を伝えるのにぴったりの料理だし、なんと言っても旨過ぎるので、ドドンと登場してもらうことにした。

洗面器のように巨大な鍋に満ちた、地獄の湯のように真っ赤な色をしたスープ。一体どれだけ辛いのかとおののく人もいそうだが、実はこれ、見た目ほどには辛くない。この色は唐辛子だけではなくトマトにも由来しているからだ。

しかし、ただのトマト煮込みとは訳が違う。スープのベースとなるのは、紅酸湯(ホンスァンタン)。主原料となる毛辣角という貴州特産の酸味の強いミニトマトを、生姜・大蒜・唐辛子・もち米粉・塩・白酒などと共に密封した甕の中で熟成発酵させる。夏場なら半月もすると、酸味と旨味と辛味を兼ね備えたスーパー調味料ができあがるというわけだ。

「酸湯」は貴州料理の根幹を為すものの一つで、紅酸湯のほかにも白酸(米酸)湯、紅油酸湯、辣醤酸湯、蝦酸湯、臭酸など様々な種類があり、様々な料理の基礎になる。それぞれの製法や使用法は複雑で、全容を説明するには紙幅も僕の知識も足りない。いつかスラスラ説明できるようになるくらい長く貴州に滞在してみたいと思っているが、いつになることやら。

鍋を火にかけると、豊かな酸味と旨味を想像させる唯一無二の香りが立ち昇る。

さて、真っ赤なスープの中には、巨大な魚が原子力潜水艦のように身をひそめている。草魚・桂魚・鱸魚・江団といった川魚を丸ごと用いるのが常だが、中でも僕のオススメは江団(ナマズの一種)だ。見た目は不細工だが、そのぷるぷるした肉質と上品な味わいは極めて美味。とりわけ、この料理のように複雑な味わいのスープの中で活きるのだ。

これが江団。テンションが上がる大きさ!

いただきます!まずは真っ赤なスープをすするとしよう。うわあ、これはうまいぞ。酸味と辛味の絶妙なバランス。そこに発酵トマトと魚の旨味が掛け合わさって、太く重層的な味わいになっている。タイのトムヤムクンのような味を想像する人もいるかもしれないが、あの酸味は柑橘のしぼり汁が由来なので、全くの別物だ。穏やかな酸味とその奥に広がる豊かなコクは、熟成発酵ならではの産物である。

こればっかりは食べてみないとわからない美味しさ!

ベースのスープを味わったら、蘸水(ジャンシュイ)の出番だ。蘸水とはつけだれのことで、貴州料理では様々な料理に蘸水が添えられる。面白いことに、料理が変われば蘸水の調合も変わるので、どれだけのバリエーションがあるのか想像もつかない。蘸水の多彩さも、貴州料理の大きな特色のひとつだ。

酸湯魚の蘸水でよく使われる材料は、煳辣椒面(上述の焦がし唐辛子粉)、胡椒、花椒、胡麻油、木姜子(後述)、青葱、香菜、大蒜、揚げ大豆、腐乳、魚醒草(ドクダミの地下茎)あたり。これらが入った小皿に鍋のスープを少しだけ注ぎ、よく溶いてつけだれにする。

ここで特筆しておきたいのが、木姜子(ムージャンズ)だ。山蒼子というクスノキ科の木の実で、レモングラスのようなオレンジピールのような、爽やかな柑橘系の香りが持ち味。西洋ではアロマオイルの原料にするそうだが、貴州や雲南では香辛料として使われている。酸湯魚ではスープにも蘸水にも入っていて、清涼感を演出してくれている。これまた香りをかぐと貴州を思い出す一品だ。

これが蘸水。魔法のつけだれだ。店ごとに調合は異なるが、大抵どこも旨い(笑)。

さあ、試してみよう。蘸水に魚の切り身をどっぷりと浸して頬張れば、「・・・!」。思わず言葉を失う。スープだけでも十分不思議な味わいなのに、そこに蘸水に入った様々な食材が混じり合うのだから、その香りと味の複雑さは推して知るべし。混乱した頭の中にやがて浮かんでくるのは「うまい…!」のひと言だ。最初に食べたときには、うまいと同時に、「世の中には想像もつかない美味があるのだなあ」という感動が胸いっぱいに広がったことを覚えている。

こういう押しの強い味わいには、川魚のつるりとした身質が抜群に合う。日本にいると巨大な川魚を食べる機会はあまりないけれど、この旨さに触れたら、「海の魚ばかりが魚じゃないぞ、魚だって適材適所なんだぞ」と大声で周りの人に宣伝したくなると思う。

江団、日本でも流通しないかなあ。

そして、酸湯魚の具は魚ばかりではない。大抵はあらかじめ豆もやしや酸菜(青菜の漬物)がスープの中で煮込まれているし、それとは別の具(配菜)を注文することもできる。とある店で供されたのは、季節の青菜、蓮根、湯葉、苕粉(さつまいもでん粉の春雨)。ま、スープもつけだれも旨いのだから、何を入れたって旨くなる理屈だ。

配菜セット。この料理だけで一食を終えても何の問題もないくらい、色々食べられる。
青菜をバサッ。煮えばなも旨いし、よく煮込んでも旨い。

食べれば食べるほどスープの味わいが深まっていき、箸が止まらなくなる。スープの塩気自体は控えめで、蘸水で味を補うスタイルだからこそ、量が多くても最後まで飽きずに食べられるのだろう。毎回ひたすらに食べ続け、ふくらんだ腹で下を向くのもつらい状態で店を後にすることになるが、心に残るのは常に「本望」の二文字だ。

煮詰まってきてからが本番。豆腐や酸菜がご馳走に化ける!

貴州を代表する名物料理とされるのも納得の、個性的かつ圧倒的な美味である。ぜひともご賞味あれ!

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