そのオーダーはコールか呪文か?中国を代表する麺、蘇式湯麺(苏式汤面/蘇州式スープ麺)

美しき蘇式湯麺。だが、その奥深さは一枚の写真ではとても表現しきれない。

蘇州の食を語るなら、蘇式湯麺は決して外せない。中国を代表する麺料理のひとつで、蘇州のみならず、周辺地域の麺文化に多大な影響を与えているからだ。蘇州人が麺にかける情熱は、偏執的な域に達していると言ってよい。その真髄について語るには、僕などでは分不相応だという自覚はあるが、その一端だけでもお伝えしてみたい。

まず、蘇州人にとって、蘇式湯麺は専門店で食べるものだそうだ。しかも、朝食に食べるのが一番とされている。開店直後の出来立てのスープが最も澄んでいて旨いと言われており、朝一の麺には頭湯麺という呼び名があるほどだ。麺も、出来立てが重んじられる。やむをえず午後になって麺屋に行く場合は、「この麺は午前のものか、午後のものか」と聞く客もいるのだとか。

蘇式湯麺の肝となるスープは、鶏肉、豚肉、豚骨、タウナギの骨、魚の鱗などと各種香辛料を煮込んで作られる。ベースのスープができたら豚骨を加えて更に数時間煮込み、ようやく完成となる。材料の配合や火加減などは店ごとに異なり、そのノウハウはスープ作り専門の職人だけが握る店の最重要機密だそうだ。早朝の開店に合わせて毎晩真夜中から仕込まれるスープは、まるで朝の陽光のように美しく輝く。

スープに合わせるタレは、(ルー)という。露もまた店の腕の見せどころで、材料や調合方法は店によって千差万別だ。大まかに分けると、醤油を含んだ露が入ると紅湯麺、含まない露だと白湯麺になり、どちらもそれぞれに旨い。どうせ蘇州に行くならば、無理してでも両方試したいものである。

紅湯の陽春麺(かけそば)。美しく折りたたまれた麺は、観音菩薩の頭に例えて「観音頭」と呼ばれる。

具の豊富さも、蘇州麺の特徴だ。まず、具なしのかけそばは陽春麺(或いは、光麺底)という。具は澆頭と呼ばれ、あらかじめ作り置きしたものと、その場で炒めて作る現炒の二種に大別される。それぞれ何種類もあるので、麺屋の注文台の後ろには、具を記した短冊がずらりと何十枚も並ぶことになる。

とある老舗の注文台。あなたなら何を頼みますか?

定番の具は、作り置きのものなら燜肉(茹で豚肉)、爆魚(揚げ魚)、紅焼肉(豚三枚肉の甘辛煮)、鹵鴨(アヒルの煮込み)、面筋(揚げ麩の煮物)、菌菇(キノコの煮物)など、現炒なら鱔糊(タウナギ)、肉絲(細切り豚肉)、蝦仁(剥きエビ)、腰花(豚マメ)などと、挙げれば切りがない。それもそのはず、蘇式湯麺には500種類以上の具があると言われているのだ。因みに、前のページで登場した白切羊肉麺も蘇式湯麺のひとつである。

ド定番のひとつ、揚げ魚をのせた爆魚麺。スープは紅湯。
こちらも定番、タウナギのとろみ炒めをのせた鱔糊麺。

具の出し方にもこだわりがあって、具を麺にのせるのは蓋澆(ガイジャオ)、小皿で別添えにするのは過橋(グゥォチャオ)と呼び分ける。

黙って注文した場合、一部の作り置きの具を除けば、過橋で供されることが多い。別添えの具は、麺と別々に食べてもいいし、麺にのせてもいい。因みに、僕はいくつかの具を過橋で注文し、それを肴に朝ビールを飲んでから、途中で麺にのせて食べるのが好きだ。蘇州人は誰もやっていないけど。

青椒炒鴨胗(ピーマンとアヒルの砂肝炒め)と青菜(茹で青梗菜)で朝ビール。途中から麺にのせるのが酒徒流。
シンプルなかけそばを味わってから具をのせれば、一碗で二度おいしい。

いっぱしの蘇州人ともなると、更に細かい注文をつける。麺の硬さ(硬麺/爛麺)、スープの量(寛湯/緊湯/無湯)、ニンニクの葉や青葱の要否(重青/免青)、麺と具のバランス(重麺軽澆/軽麺重澆)に至るまで、事細かに指定していく。しかも、それぞれ()内に書いたような専門用語があり、まるで呪文のようにこれらを言い連ねるのだそうだ。

燜肉(茹で肉)と素什錦(精進炒め)の相盛り。二種の具の相盛りを「二澆」、三種なら「三澆」という。

なんだか初めてラーメン二郎に行く人に向けた事前講習みたいになってきたが、別に旅行者がその呪文を覚える必要はない。最低限自分で選ぶ必要があるのは、スープの種類(紅湯か白湯)と具だけ。あとは店側がその注文に適したスタイルで出してくれるので、気楽に行こう。

僕が最も感銘を受けた蘇式湯麺は、老舗『同得興』の夏の名物・楓鎮大肉麺(フォンヂェンダーロウミィェン)だ。黄金色に輝く白湯の中には極細麺が綺麗に折られて沈み、中央に鎮座する豚三枚肉の周りを青葱が彩る。そのたたずまいのなんと潔く、美しいこと!

楓鎮大肉麺。食べるたびにその美しさに見とれる。

スープは、実にあっさり。旨味も塩気も強い日本のラーメンに慣れていると、味がないと思う人もいそうなほどだ。隠し味は、酒醸(ジゥニィァン)粒を残した甘酒のようなもの(上の写真の白い粒)で、これがスープに爽やかなコクを与えている。そもそも楓鎮大肉麺が夏限定の名物なのは、酒醸の発酵に適した季節が夏だからだそうだ。

 そのスープと共に、長浜ラーメンにも似た極細ストレート麺をすする。具は500種類もある蘇式湯麺だが、麺はほぼこれだけ。多彩な具を受け止める土台に徹しているわけだが、なかなかどうしてこれが旨い。程よくコシがあり、喉越しがよく、箸が止まらなくなる。

極細ストレート麺。派手な主張はないが、碗全体をしっかりと支える。

メインの大肉(燜肉、白肉ともいう)は、見たまんまのご馳走だ。箸で触れるだけで崩れるほどの柔らかさで、口に入れればホロリととける。それでいてしつこさなどまるでなく、この巨大なカタマリが瞬時に胃袋の中に消えてしまう。そして、一気呵成に麺を平らげたあと、ふと気付くのだ。なるほど、これなら朝食でも余裕だな、と。

もし蘇州を旅するなら、朝食は全て蘇式湯麺に捧げてもいいだろう。それでも蘇式湯麺の全容をつかむことなど全くできないが、毎回異なる味わいを楽しむことができるはずだ。蘇州に行ったら、何をおいても蘇式湯麺。お忘れなく!

次回予告:四川省成都市で食べるべき料理3選(2019年8月22日更新予定)