南極だからおいしさひとしお。越冬隊に人気の中華はこれだ!
―南極に出発するまでの間、日本でどんな業務を行うのですか?
国立極地研究所に正式雇用となったのが2019年7月。そこから出発までに、食材の調達や、現地にある機材の入れ替え、研修、お披露目会での調理などがあります。
食材の調達は、過去の発注履歴もあったのですが、リストとしてデータがまとまったものはありませんでした。そこで僕らの代から新たに作ったのが調達リストです。南極に食材を運べるのは、夏の間の1回だけ。1人あたり約1トンの食材を運ぶのですから、なにをどのくらい調達すべきか、計画性が必要です。
火力については、僕が入る前に古いガス台を交換するタイミングだったので、ターボつきの中華ガスレンジを1口入れてもらいました。これで炒めものは15人ずつ2回に分けて調理できるようになりました。
今振り返ると、1年分の発注と捉えるよりも、半年単位で前期、後期と捉えて計画したほうががよかったなとか、思うようにならなかったな、ということもありました。「神田雲林」では1食あたり何グラムの食材を使うかを決めて調理していたので、その経験が役立ったのはよかったですね。
―出発から南極に到着するまで、どのくらいの日数を要しますか?
僕たち南極観測隊は2019年11月末、成田空港から飛行機でオーストラリアに行き、海上自衛隊が運用している南極観測船「しらせ」と合流します。
そこで物資の最終調達と補給をして船に乗り込み、オーストラリアを出るのは12月初旬。昭和基地に向けて、海洋観測をしながら約1ヶ月で南極に到着です。氷が薄かったこともあり、例年より少し早めに着いたようです。
第61次隊は、越冬隊29名、夏隊42名、越冬隊同行者1名、夏隊同行者20名の総勢92名(※実際の参加は89名)。その他に別働隊もいるので、かなりの大所帯になりますね。
―調理はどういう体制で行いますか?
移動中の船の中では海上自衛隊の方が調理するので、越冬隊調理担当は昭和基地に着いてからが本番です。体制は、僕と、東京で居酒屋を経営している堅谷(たてや)さんの2人。隊にもよるようですが、僕たちは4日交替で料理を作っていました。
1度の食事で作るのは、メイン1品、副菜2品、汁物1品が基本。準備や皿洗いなどは当直の隊員のサポートもあります。食べる時間はほぼ決まっていて、朝は7時から、昼12時から、夜は6時からですが、太陽が昇らなくなる極夜の時期は遅い時間からの食事に。さらに野外糧食などの準備もします。
―南極の調理といえば、映画『南極料理人』を思い出す人もいるでしょう。南極はお湯の沸点が低いので、ゆでたラーメンの芯が残ってしまうというシーンがありましたが、実際はどうでしたか?
昭和基地の気圧は、体感的には日本とそこまで変わらない印象がありましたが、お湯は90度くらいで沸騰しますね。ただ、南極大陸の極に近くに行くほど、米を炊いた時、同じ水分量だと硬く炊き上がる印象はありました。
余談ですが、南極は湿度が低く、微生物がいないせいで木材が腐らないんですよ。古くなった建物の解体に行った際、表面は紫外線などの影響でボロボロになっていましたが、中がまったく劣化していないのには驚きました。
また、南極で調理をするということは、ゴミや排水にもいつも以上に気を遣う必要があります。なるべく油を排水に流さないよう、食材の油通しを湯通しにしたり、コンベクションオーブンを活用したり。
ゴミを出さないという点では、カット済の冷凍野菜や冷凍麺も便利でした。約30人分の麺をゆでるのに、小さな鍋でお湯を何度も変えたら排水が増えてしまいますが、冷凍麺は粉がついていないので扱いやすいんです。
―隊員に人気のあった料理は何でしたか?
エビチリ、エビマヨ、麻婆豆腐。これは定番ですね。鶏手羽先のパリパリ揚げ、五目餡を巻いた春巻もすごく喜ばれました。冷凍食品も持っていきましたが、やはり手作りの方が喜んでもらえます。
それからTwitterでも紹介しましたが、神田雲林式の担担麺。前半は出していなかったのですが、後半、毎週出してもいいっていわれるくらい評判がよくて。もっと早く出せばよかったですね。
―南極で作った料理で、隊員に人気で、家庭でも真似できそうなメニューはありますか?
手ちぎりキャベツの湯引き 香港風です。極寒の南極は生野菜が貴重。冬に到着したキャベツや人参は、半年もすると底をついてきます。だからフレッシュなキャベツそのものに気分が上がるんですよ。
<手ちぎりキャベツの湯引き 香港風の作り方>ポイントは熱した油を葱にジャッとかけること。キャベツの風味と食感に香りが加わり、食欲が止まらなくなる一皿です。 1. キャベツを適当な大きさにちぎる。 【注意】油を熱する際、鉄製をはじめ熱に強いフライパン等を使ってください。ちなみにこの煙で昭和基地で火災報知器が鳴りました。 |
ー「農協係」もいますね。
生鮮野菜がなくなると冷凍野菜を使って調理をしていきますが、やはりフレッシュな野菜の食感は恋しくなります。そこで農協係の出番です。
南極は土に微生物がおらず、たしか菌類の持ち込みにも制限があって、生野菜は基地で水耕栽培をしています。育てているのは葉ものが中心で、サニーレタス、水菜、小松菜、かいわれ大根、もやし、ワサビ菜、ハーブ類、ラディッシュ、キュウリなどですね。
僕がよくお願いしたのは小松菜です。農協係の腕なのか品種なのかわかりませんが、日本のよりもジャキジャキしておいしかったです。
―食べたい料理のリクエストもありましたか?
たまにありました。僕は基本的に1週間単位で献立を考えていて、最初は昭和基地にある『昭和Wiki』と呼ばれる情報共有システムにメニューをアップしていました。仕込み中に変えることもありましたけどね。
クッキーやパイ、カシューナッツの飴炊きなど、デザートなども作りました。よく作っていたのは杏仁豆腐です。南極は乾燥していて、杏仁は喉や肺を潤しますから。
―中華料理人として達成感が味わえた料理は?
滞在後半、次に来る第62次隊とのやり取りで、最初の調達では手に入れられなかった食材を手に入れることができたんです。そこでもともとやろうと思っていたスペアリブの煮込みをはじめ、中華らしい肉塊を使った料理ができたのは嬉しかったですね。
達成感があったのは、ラムラックを丸ごと煮込む崑崙羊肉(クンルゥンヤンロウ)。味付けは沙茶醤と香辛料で、みんなの前で切り分けて提供します。
もうひとつは北京ダック。日本では皮だけ切ってサーブするやり方が多いですが、南極では本場北京のように、肉も皮も一緒に食べるスタイルで仕上げました。あの、鼻に抜ける焼きたての風味が忘れられなくて。
北京ダックはアヒルの腹の中に空気を入れて膨らませ、皮を張るようにして乾かすことがポイントですが、南極は乾燥しているのでダックの皮もよく乾くだろうな、と思ったこともやってみたくなった理由のひとつでした。
隊員にもダックを膨らませるのを手伝ってもらったのはいい思い出ですね。隊員の中に食通の方がいて、その彼が「今まで食べた北京ダックの中で抜群にうまい!」と言ってくれたのは嬉しかったなあ。
―こうした料理が南極の景色とともにTwitterで発信され、日本にいる我々の心を掴みました。発信に制限などはありましたか?
帰国報告をはじめ、隊全体の動向に関わることは、極地研究所の発表の後にするようにと言われていましたが、自分が作った料理に関しては自由です。Twitterはもともと情報収集程度にはやっていたのですが、南極に行くことが決まった段階で、発信もしようと決めていて。
自分自身が撮れない写真は他の隊員にもらったり、自分のなかではイマイチな料理もたくさんありますが、ダメなのも今の自分だと思ってアップしていました。