SNSでレストランの情報をチェックすることが当たり前になった今、パフォーマンスや写真映えは、店の“強さ”になっている。
一方で、どうだ!と強く主張せず、そっと寄り添うような“強くない料理”こそ、私たちの脾(胃腸)を癒やし、明日への活力を養うのも事実だ。
2023年の冬、西早稲田にひっそりとオープンした「旧雨(きゅうう)」は、まさに地味で滋味。それでいて、旬の食材の煌めきを映した料理で、早くもリピーターを呼んでいる。
そのやさしさ、控えめにもほどがある。
「旧雨」のオーナーシェフとして腕を振るうのは、前田克紀(まえたかつのり)さんだ。薬膳や食養生に関心の高い、健康志向の女性が足繁く通った「古月 新宿」のオーナーシェフだった方と聞けば、ああ!と思う方も多いだろう。
10年以上の調理場経験と、中国語の論文を2本というハードルをクリアし、2011年に中国の中華中医薬学会が認定する「高級栄養薬膳師」を取得した前田さんは、中医学に通じ、生薬や方剤までも理解する、知る人ぞ知る料理人。
それでいて、料理には基本的に生薬を使わないのが前田流。殊に、新店「旧雨」では先入観なく食事を楽しんでほしいという想いから、薬膳的なうんちくは封印しているのに、料理の組み立てはきちんと東洋医学を踏まえているのがにくい。
つまり、私たちは楽しく飲み食いしているだけなのだが、前田さんは、私たちが季節ごとに出やすい不調が少しでも和らぐような料理を出している。そのやさしさ、控え目にもほどがある。
これはマジック? 食べてととのう料理の秘密
では「私たちが季節ごとに出やすい不調が少しでも和らぐような料理」とはいったいどういうことなのか。2月初旬に出された、冬と春の境目のコース料理を例にご紹介しよう。
まずは菜の花と白魚(シラウオ)を雲呑に仕立て、春を呼び込む一皿がこちら。
大ぶりの雲呑には、キクラゲや椎茸とともに、菜の花の緑の味わいがぎっしり。白魚とたまごの軽やかな餡が滑らかさを加え、喉を潤す。
その一方で、この料理は春の薬膳のテーマ「血を補って巡らせる」はたらきを持っている。
卵で血を補い、菜の花で血を巡らせ、その2つだけでは味わいとして少し寂しいところを、胃の調子を整える白魚で補う。つまり「おいしい」に留まらない、「その先の健康」が考えられているのだ。
続いては、こちら。ギアラを白鹵水(バイルーシュイ)でさっぱりと煮込み、コリコリとしたクラゲを取り合わせた品だ。
ギアラは牛の第4胃袋で、白鹵水は中国料理で内臓などの下味つけなどに使われる自家製のつけ汁のようなものをいう。
この食材に対する味付けは、らっきょう、黒胡椒、香菜である。口にすると、ギアラの油とスパイスと清涼感が酒を呼び、意外な組み合わせに「センスいいなあ」と口元がほころぶ。しかし、前田さんの考えは深い。
「胃袋と縮砂(しゅくしゃ:砂仁とも)は、『砂仁猪肚湯』などの料理に代表される中国料理の古典的な食材の組み合わせです。縮砂は胃のはたらきをよくする生薬ですが、ここではなるべくふつうの食材を用いたく、代わりに黒胡椒とらっきょうを用いました。胡椒は胃を温め、消化器を元気にし、らっきょうは胃の気を巡らせます。つまり、縮砂と似た働きをします」。
まるで食医のようではないか。
こちらはゴマで調味した平貝、春の香りの蕗の薹、ほっくりとした百合根の組み合わせ。平貝は薄切りにし、表面を炙って味を凝縮させており、焙煎唐辛子をちょいちょいと付けていただく趣向だ。
「平貝(たいらがい)は滋陰(じいん)、つまり体液を補う食材で、冬から春にかけて使いたい食材です。料理の着想は『麻醤鮑魚』、アワビとごまだれで料理を平貝に置き換えたもので、ゴマもまた滋陰の食材ですね。東洋医学において、春は味わいの濃くないものを食べるのがいいとされます。そこで同じく滋陰の役割を担う百合根を合わせました。ゴマだれだけだと重たくなりがちなところに、春の香りとして蕗の薹を加えています」
3つの食材で味のバランスをとりながら、最後まで季節の食養生になっているのだから頭が下がる。
練り込み麺で、おいしさの先にある健康を想う
〆は麺料理か米料理だが、麺の場合は自家製の練り込み麺がいただけるのも楽しみのひとつ。これもまた、「おいしさの先」が考えられたものだ。
例えば、この日は紅花(ベニバナ)の練り込み麺が登場。紅花には活血のはたらきがあり、「まだ肌寒く血流が滞りがちなところに、静脈の血流をよくする食材を用いたかった」と前田さん。
そこに合わせたスープは海老の出汁。「実はこれが要(かなめ)でして、補陽(ほよう)、すなわち生命力を養うもとになります。具に用いたニラは起陽草の異名をとり、冬から春にかけて陽の気を持ち上げてくれます。海老の味とも相性がよく、紅花の麺は魚介のクセをとってくれる印象もありますね」。
実際のところ、客席ではあれこれ説明しない前田さんだが、話を聞けば、膨大な知識と経験の蓄積が料理に反映されており、聞けば聞くほど深くおもしろい。
昔馴染みを迎えるように、温かな場でありたい
ちなみに店名となる「旧雨」は、唐代の詩人・杜甫の「秋述」の一節「舊雨(きゅうう)」から取っている。
この散文は、病床に伏せる杜甫が友人の来訪を待つ気持ちを綴ったもの。雨(YU)と友(YOU)は発音が似ることから掛詞となり、舊雨(旧雨)は昔の友人を意味する。
名づけの心を聞くと「この店は『店とお客さまの近さ』と『日常』がひとつのテーマ。昔馴染みのもとへ訪れるよう、リラックスして楽しんでほしい」と前田さん。たしかにフルオープンキッチンでシェフが自らサービスするのだから、以前よりも距離はぐっと縮まっている。
さらにいうと、ギュッと熱の入った熱い料理を熱いまま、冷たい料理は冷たいまま目の前でサーブされるのだからおいしさは2割増し。軽やかにいただき、気づけばととのうカウンター中華、これは季節ごとに通いたくなりますよ。
旧雨(きゅうう)
東京都新宿区西早稲田2-3-21(MAP)
※穴八幡宮のそば。東西線早稲田駅3番出口から徒歩6分
営業時間 17:00ー21:00
定休日 日曜・月曜
※料理はコースでの提供(9,500円)、ドリンクはクラフトビールなど1杯950円~。支払はクレジットカードまたは電子決済のみ。
※要予約。予約はInstagramのDM(ダイレクトメッセージ)にて。
TEXT&PHOTO サトタカ(佐藤貴子)