中国の皇帝も愛したという伝説の残る、知る人ぞ知る安徽省のご当地食材。
毛豆腐
中国語表記:毛豆腐
北京語読み:マオ ドウ フー
発音記号 :máo dòu fǔ
安徽省南部、黄山市周辺の伝統食品で、表面がふわふわとしたした白い毛カビで覆われた豆腐。発酵させることで植物性たんぱく質が多種のアミノ酸に変質し、複雑な旨みを醸し出す。
豆腐を小さく切り分け、竹の桟の上に隙間を開けて並べ、15℃~25℃の環境下で3~5日放置すると、次第に豆腐の表面が絨毛で覆われ、乳化成熟することで完成する。しかし、この状態に至るためには気候風土の影響が大きく、他の地域ではこの毛カビが育たないため、ほぼお目にかかれないご当地食材となっている。
黄山市にある世界遺産「黄山(フアンシャン)」の入口として観光客の集まる屯渓(トゥンシー)区ではポピュラーな食材で、老街(旧市街)の徽州料理店で容易に食べることができる。
屯渓区老街では料理店の店先でも販売
安徽省黄山市> 大きな地図で見る
虎皮毛豆腐(フーピーマオドウフー)
毛豆腐を平鍋で両面を“煎(jian)”して黄色く虎柄のような焦げをつけて調味し、辛み調味料の一種である辣椒醤、薬味に香菜などをつけて食べる。食感は同じ発酵豆腐の腐乳(フールー)や、ソフトなフレッシュチーズに似ためらかな舌触り。調理後は、特徴である毛は全く目立たない。
毛豆腐10個(10元/161円)※1元16.1円で計算
毛豆腐発祥伝説 Part1
明朝初代皇帝 “太祖” 朱元璋
明王朝[1368-1644]を開いた朱元璋(しゅ げんしょう)が、戦に敗れて徽州の休寧県(現:安徽省黄山市)に落ちのびてきたときのこと。腹が減っては戦ができぬと、食物を探しに出た部下の一人が、逃げた農民が草むらに隠していった豆腐を見つけた。
それはカビまみれであったが、他に食べるものは何もない。そこで部下は炭火でよく炙ってから朱元璋に食べさせることにした。すると意外なことに、これが大層美味で、朱元璋は大いに満足した。その後勝ちに転じた朱元璋は、部下たちをねぎらうため、従軍料理人にこの毛豆腐を作らせて振る舞った。以来、毛豆腐は徽州の伝統料理となったと言われている。
毛豆腐発祥伝説 Part2
徽州の貧農の家に生まれ、飢饉で家族を失った幼い朱元璋は、昼間は資産家の家で牛の放牧をし、夜はその家の使用人たちと豆腐作りをして仕えていた。しかし資産家のもとを離れてからは、路上で物乞いの生活を送るようになり、いつも腹を減らしているような有り様。そんな朱元璋に同情した使用人たちは、毎日ごはん、おかず、豆腐をくすねてきては、草むらに隠しておき、朱元璋はそれをこっそりと食べることで日々を凌いでいた。
そんなある日、よそへと物乞いに行って数日間戻らなかったところ、いつもの豆腐にびっしりと白い毛のようなカビが生えてしまっている。しかし、空腹に耐え難く、焼いて食べてみたところ、意外にも香りよく、非常に美味だった。
時は流れ、元朝に反旗を翻した決起軍のリーダーとなって10万の大軍を率いて徽州に差し掛かった時、朱元璋は昔のことを思い出し、従軍料理人にあの豆腐を作らせる。以来、油で炒めた毛豆腐は徽州に瞬く間に広がり、伝統料理へとなった言われている。
【参照資料】
Baidu百科「毛豆腐」
新・北京。おいしい生活。「【商宇徽菜館】徽州毛豆腐」
Research: Xiao Shan-Mian & Chuka Lovers(シャオ・シャンミェンと中華ラバーズ)
PHOTO 小杉勉