荻野シェフに学ぶ、唐辛子×四川の可能性

① 唐辛子のテイスティング方法   | ② 荻野シェフ特製!唐辛子チャート
③ 唐辛子の特徴を生かした四川料理 | ④ 荻野シェフのこだわり&お気に入り本

今回「四川料理マニアックス」の唐辛子企画にご協力いただいた荻野氏は、福岡空港から車で10分ほど、月隈団地の一角にある「四川料理 巴蜀」のオーナーシェフ。
※同店は2016年8月7日に福岡市博多区美野島に移転しました。詳細はこちらをご覧ください。

こういってはナンですが、駅からも遠い、非常に目立たないこの場所で、福岡はもとより、日本各地からここを目がけて来られるお客さまが絶えない店が「巴蜀」です。

「巴蜀」外観。(大売出しの幟は隣のお店です。)

なぜ人はわざわざここに足を運ぶのか――?
理由はさまざまあると思いますが、ひとつ言えるのは、次第に伝統的な料理が書き換えられていく中で、「おいしかった」と言われるある時代に想いを馳せ、時代背景を参考に、伝統の味を再現する希少性と、それを再現するための創作がここにある、ということでしょう。

中でも「伝統的な四川料理がまだ四川に残っていたギリギリのところで、比較的文献も手に入れやすい1980年代から2000年にかけての四川料理」を中心に研究し、提供しているのは、世界広しといえども、荻野シェフだけかもしれません。

では、なぜ四川省から伝統的な料理は失われていったのでしょうか。荻野シェフは「江沢民政権による西部大開発がきっかけ」と語ります。

「2003年以降、四川省や重慶市などは、西部大開発による道路や鉄道のインフラ整備で、激しく開発が進みました。その中で、多くの飲食店は移転を余儀なくされ、国から補償という名目でお金を渡されたのです。立ち退き料として、遊んで暮らせるだけのお金が入ったところもあったようですね。もちろんレストランの中には移転する店もありました。しかし、小さい麺店はほとんどそのままなくなってしまったのです」。

Vol.3で紹介した「王婆蕎面」は三代にわたり、40数年受け継がれてきた店。写真は支店の玉林店。(画像提供 荻野亮平)

荻野シェフが四川省に滞在していたのは2001年~2002年のこと。折しもその時代は、古い料理と新しい料理の両方が入り交ざる、四川の食の端境期だったのかもしれません。

「正直なところ、伝統的な料理は、今の進化した料理よりおいしくないと思います。それは、人の味覚の変化もありますし、さらなるおいしさを追及し、調理法や食材などを試行錯誤した結果、今の料理に至っているということもあるでしょう」。

その一方で、変わらない料理だからこそおいしい、という声があるのも事実。

「そこで思い出すのが、成都の『成都小吃城』という小吃(※軽食)の専門店です。現在は移転か閉店かわからないのですが、ここは『昔ながらの味でおいしい』という熱烈なファンと、『全然おいしくない』という強烈なアンチもいる、評価の分かれる店でした。僕も二度行きましたが、正直おいしいとは思いませんでした。

しかし、今の四川料理はアレンジが加えられ過ぎているものもよくあります。ならば、昔ながらの伝統的な料理をおいしく再現すれば、店が成り立つかもしれない。そう思って開いたのが『巴蜀』です。

おいしければなんでもあり、という店が増えていく一方で、ある時代に絞ることで、“時間を遡る進化”や“動いていない”という動きを表現する店が、一つくらいあってもいいんじゃないかと。

例えば、うちの店で作っている水豆豉や、煎り米と唐辛子を発酵させたは、他ではあまり見られない調味料です。そういうものを作り、使いながら、当時の料理を再現していきたいと考えています」。

 

荻野シェフのバイブルとは?

そこで気になるのが、荻野シェフが参考にしている四川料理のバイブル。尋ねてみると、「僕は、四川の食文化を背景にした料理を作りたいんです。ですので、好きな本、よく見る本といったら『成都通覧』でしょうか。これは成都の百科事典的なもので、ものの値段や、その時代の特産品なんかが書いてあります」と荻野シェフ。
なるほど、そこから見える当時の暮らしぶりから、食を取り巻くシーンが浮かび上がってくる…というわけです。

写真は1987年発行の『成都通覧』。

「僕が毎年四川に行くのは、その時代の価格を調べる目的もあって、必ず各市場にいって、肉や野菜の価格を撮影しています。2015年冬の滞在では、農産物専門の五塊石と、海鮮や肉を中心とした青石橋を訪れました。
成都だと、テレビでも市場の相場を放送しているんですけどね。今ですと“魚香”という草が流行ってきているとか、そういうこともわかってきておもしろいです」。

鶏や鴨などの価格表。(画像提供 荻野亮平)

きのこの価格表。(画像提供 荻野亮平)
成都市五塊石市場の風景(画像提供 荻野亮平)

一方、料理本として「気に入っている」というのが、『老川菜』『川菜 制作技术实验教程』『教学菜 川菜』の三冊。「これらはどれも成都の料理学校のテキストとして使われていたものです」。

『老川菜』

『川菜 制作技术实验教程』

『教学菜 川菜』

また、日本の本の中では、「1983年に出版された『中国の名菜』がなかなかおもしろいですよ」。

『中国の名菜』(美乃美)

こちらは中国人民美術出版社から出版された本の翻訳もので、中国四大名菜と宮廷料理を手掛けるシェフの姿とレシピを紹介。北京の「仿膳飯荘」、「北京飯店」、「北京四川飯店」、広州の「泮渓酒家」など、歴史あるレストランの厨房の1コマが垣間見えるのも興味深いところです。

日本語で読める、おすすめの中国食文化本

さらに中国の食文化をテーマにしたものでは「石毛直道さんや、張競さんの本はおすすめです」。ご両人の本は、80C(ハオチー)編集部でも、調べものの際に度々参考にさせていただいているもの。2冊ご紹介する中で、まず1冊目は、国立民族学博物館名誉教授・元館長を務めた民族学者・石毛直道氏の『鉄の胃袋中国漫遊』です。

(左)『鉄の胃袋 中国漫遊』石毛直道(平凡社ライブラリー)※現在は廃刊 (右)『中華料理の文化史』張競 (ちくま文庫)

石毛氏は世界中の食に関する著書がありますが、中国に関する本で楽しく読みやすいのがこの一冊。上海を皮切りに、鎮江、揚州、南京、重慶、済南、広州などを訪れた怒涛の食紀行は、中国好きでなくとも楽しめるはず。

そしてもう1冊は、上海出身の比較文学・文化史学者、張競氏の『中華料理の文化史』。張競氏は来日後、「四千年の歴史を持つ中国料理」というお決まりのフレーズを日本で耳にし、好奇心を刺激されて資料を集め始めたのだそう。
本書は、中国各地の主要穀物やマナーの変化、好まれる肉の移り変わり、異民族との交流による料理法の変貌など、過去から現代に至るまで、様々なテーマで中国食文化を紐解いている点がユニークです。

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さて、4回にわたる四川料理マニアックスシリーズ、いかがでしたでしょうか。荻野シェフの深い知識と探求心によって実現したこの企画。ご覧になって、唐辛子の新たな可能性に気づいたり、『巴蜀』で四川料理を食べてみたい…と思っていただけましたら幸いです。

新たなアイデアで、古いレシピが書き換えられていく中で、「麻婆豆腐」をはじめ、ある時代の料理を再現することで、今の人にとって新鮮な味と気づきをくれる荻野シェフ。伝統をベースに新しい料理を次々と創造し、注目される料理人がいる一方で、こうした取り組みを、店を構えながら行える料理人は希少だと思います。どちらがいいというのではなく、両方の料理人がいて、交流していく中で、日本の中国料理業界はますますおもしろくなっていくのではないでしょうか。

取材協力

荻野亮平(四川料理巴蜀 オーナーシェフ)

1978年大阪府生まれ。辻調理師専門学校を卒業後、東京・千駄木の四川料理店「天外天」へ。2001年8月、本格的に四川料理を学ぶべく、四川省成都市にある四川大学に1年間語学留学しながら、現地の味を食べ歩く。

帰国後、北九州市の台湾料理店「欣葉」を経て、2007年、28歳で、四川省の街場の伝統料理・庶民の中国料理を提供する店として「四川料理 巴蜀」を開業。ブログはそのマニアックさから、料理人の愛読者多し。

四川料理巴蜀ホームページ | >ブログ「四川料理巴蜀」のかくし味

 


TEXT 佐藤貴子
PHOTO 小杉勉、佐藤貴子、荻野亮平(王婆蕎面、成都の市場)