水族館で見る観賞魚、または南の海のダイビングで出会える魚。ナポレオンフィッシュといえば、一般的にはそんな印象かもしれませんね。
しかし中国料理業界人または中華好きにとって、この魚は特別な存在。とりわけ多種多様な海産物を調理する広東料理においては、最大級にして最高級魚として珍重されてきた食材として知られています。
そんなナポレオンフィッシュの《緊急入荷のお知らせ》というニュースが飛び込んできたのは10月22日のこと。
「築地市場に頼んで早3年、広東料理最高、最大の魚【蘇眉魚】ナポレオンフィッシュが手に入りました!豊富なゼラチン質と淡白な旨味は正に香港最高級魚。蒸しやスープ、炒めにご用意致します」。
掲載された画像がコレです。いやあ、厨房にこんなのが来ちゃったら…。想像するだけでニヤニヤしてしまいますね。手前のハタ(600g)と比べてみてください。笑ってしまうほど大きいです。
しかしそもそもナポレオンフィッシュとは、どんな肉質を持つ、どんな味わいの魚なのでしょうか? 訪れたのは、千葉県柏市の中国料理店、文菜華(ぶんさいか)です。
待つこと3年!憧れの高級魚がやってきた!
「ナポレオンフィッシュといえば広東料理最高の魚。以前、聘珍樓吉祥寺店にいたときに一度だけ触ったことがあるんですが、自分で店をやったらぜひ仕入れてみたいと思っていました」
そう語ってくれたのは、文菜華オーナーシェフであり、メニュー開発等を手がける株式会社マンダリンモア代表取締役の渡辺展久さん。
同店は自社菜園を有するほか、米は単一農家より仕入れ、北京ダックには利根川流域で育てられた国産鴨を使うなど、食材に並々ならぬこだわりのある店。中でもこのナポレオンフィッシュは、オーダーしてから3年粘って仕入れたという、念願の食材でした。
「聞けば40kgとか60kgといった大物は時々上がるようなんですが、それではとても店のまな板ではさばけません。そこで『20kg前後のものが入ったら連絡してほしい』と伝えていたら、3年経っていた。連絡が来たその時の気持ちですか?『キタキター!』って感じですよ(笑)。」
文菜華オーナーシェフ 渡辺展久さん
そんなシェフの心を掴んだナポレオンフィッシュには、どんな特徴があるのでしょうか。
「まず、甘みと弾力のある白身ですね。また、大きな魚なので、部位によってかなり食感が異なるのもおもしろいところ。骨の近くは身が締まっていて、筋が張るとともに歯ごたえが強くなります。また、炒めものや蒸しものは胴の部分が最適。仕入れたものは肉厚のところで10cmほどの厚みがありますが、火を入れるとぶりんと膨らんでさらに厚みを増すんです」(渡辺シェフ)
ナポレオンフィッシュの最もおいしい食べ方とは?
そんなわけで、編集部ではナポレオンフィッシュの各部位を、最もおいしく味わえる料理をリクエストしてみました。
「鮮度は最高の状態なので、なるべく素材の味と食感を味わえる調理法にします」と渡辺シェフ。まずはアラに近い腹身の部分は、スープです!
蘇眉例湯(スーメイリータン)
こちらは清湯(チンタン:鶏をベースに作られる、にごりのない透明なスープ)でひと口大の塊にしたナポレオンフィッシュとチンゲン菜を煮込んだ一品。
腹身の部分は、口に入れるとほろっとほどけるほどのやわらかさ。ほんのり甘みのある肉と、皮に面した2mmほどのゼラチン層のとろっとした食感が持ち味です。
(使用部位=腹身 食感=やわらかく口でほどける)
▼中華マメ知識
蘇眉(スーメイ)とは中国語でナポレオンフィッシュのこと。また、例湯(リータン ※広東語ではライトン)とは香港における本日のスープ、日本における味噌汁のような、気軽なスープを意味します。
清蒸蘇眉魚(チンヂォンスーメイユイ)
続いて背肉は蒸し物に。使用部位は首に近い背中近辺で、厚みは8~10cm。非常に弾力性に富んだ部位で、蒸すことでむっちり膨れてぶりんぶりんの食感に生まれ変わります。
ここの肉はハリがありすぎてお箸では切れないので、ナイフとフォークでいただくスタイル。これはもはや、白身魚の味をした特殊肉!
(使用部位=首に近い、最も肉厚な背肉 食感=弾力性に富む)
▼中華マメ知識
清蒸(チンヂォン)とは素材に下味を付けずに、またはほとんど付けずに蒸し上げる調理法で、白身魚の中でも、ハタやメバルように、火を入れるとふっくらとする魚に適します。
時菜炒蘇眉魚(シーツァイチャオスーメイユイ)
そして、尾に近い胴の肉は5mm程にスライスして炒め物に。衣をつけてさっと炒め、旬の野菜とともに炒めた一品です。
こちらは見た目よりも野菜の種類が多く、しめじ、白しめじ、黄ニラ、銀杏、さつまいも、カリフラワー、金針菜、ユリの茎、菜芯、ゆり根、れんこんと実に多彩。これだけ野菜が入っていても不協和音や臭みがなく、身のしっかりしたナポレオンフィッシュの存在感が際立っているため、野菜と魚肉とが負けずに引き立てあう関係に。
さらに仕上げにサッと回し入れたのはナンプラー。独特の発酵調味料の香りが食欲を刺激します。
(使用部位=尾に近い胴肉 食感=ムチッと結束してゼラチン質が豊富)
▼中華マメ知識
時菜(シーツァイ)は季節の野菜のこと。炒は読んで字の通り炒め物を指します。
なぜナポレオンフィッシュがかかったのか?
ところで、滅多に水揚げがないことから珍重されるナポレオンフィッシュですが、なぜこのタイミングでかかったのでしょうか?
考えられるのは、台風です。「直前に来ていた大型台風によって、海の中が掻き回されたことが大きいでしょうね。今回の魚は沖縄近海のマグロ延縄漁にかかっりましたが、そこで普段は上がってこないナポレオンフィッシュがかかったんでしょう」
そう推測するのは、文菜華に魚や海老を卸している築地・海老の大丸の営業担当者・小孫さん。また、めったに揚がらないものの、実は時々築地市場にも出ているそうで、時には「中国大使館関係者が買い付けに来ていることもある」とのこと。秋は台風シーズンでもありますから、もしかするとこれからまた入荷があるのかも…?
ナポレオンフィッシュは、老成した時にナポレオンのかぶった軍帽に似ることに由来した俗称。正式名称はメガネモチウオで、青年期、目の横にメガネのような線が現れることから命名されました。(中国語表記の「蘇眉」もこの線に由来しています)。こちらは目の縁にトレードマークのメガネラインが出ていますから、青年期の魚体といえそうです。
ちなみに今回仕入れたナポレオンフィッシュの大きさは1メートル強、重さは14.5kg。
最も手間がかかったのはウロコの処理で、「直径8cmくらいもあり、カミソリのように鋭く硬いので、うっかり触ったら手を怪我をしそうなほど。また、包丁で切れないほど骨が太いので、裁ちバサミでちょっとずつ切っていきました」と渡辺シェフ。
「さすがにまな板からはみ出る大きさでしたが、30分くらいで下ろしました。届いたその日に処理をして、余分な水分を取り除いて冷蔵保存したので、チルドのまま4~5日はいけそうですね」。
なお、文菜華では22日に入荷をお知らせしてから、同日中に29日(火)まで予約で満席、ただ今ナポレオン祭真っ最中。facebookの反応を見てみても、巨大魚が持つインパクト、そしてお客さんの食材に対する関心度の高さがうかがい知れます。
こうしてみなさんが身の各部位を味わい尽くし、最後に供される部位は恐らくカマ(頭)。中でもゼラチンの塊である肉厚な唇は最高のご馳走です。最後にこのコの唇を奪った方、ぜひ味の感想をお待ちしております。
伝統的な技法で、日本の旬を中国料理に文菜華は、店舗を構える千葉県柏の旬と味覚に溢れた中国料理店。自社菜園の野菜や、産地限定のキノコ類、単一農家のお米、利根川水域で育った鴨をはじめ、広東・福建系の技法が活きる食材をオーナーシェフの渡辺展久氏が吟味して仕入れています。 「今、日本の中国料理に必要なのは、四季の恵みを表現できるいい食材と芸術性。かつて世界中の人々を魅了した中国料理の素晴らしい技法を再び、この日本で“復権”させたい」というのが同氏の夢。伝統の技法を用いながらも、日本の風土と食材に合わせて、オーセンティックな中華から一見和食のような一皿まで、さまざまな形で目に舌に楽しませてくれるお店です。 文菜華(ぶんさいか) 半オープンの厨房から、躍動感溢れる中華の音と香りが溢れる店内(写真右上)。 前菜のプレゼンテーションは季節感を取り入れた独創的なスタイルで、ゲストの目を楽しませてくれます(右下)。 |
取材・文 佐藤貴子(ことばデザイン)
撮影 森山良雄、小杉勉(厨房)、佐藤貴子(厨房・前菜・唇)
画像提供 文菜華(ハタとの比較画像)