青椒肉絲のストライクゾーン

修行中には、世界的な有名人も松雲澤に食べに訪れていた。そのひとりが、香港の美食家として知られる蔡瀾(ツァイラン)である。

「私の修行中に、2度いらっしゃいましたね。驚いたのは、青椒肉絲を出すのに、料理長は弟弟子の作ったものを見て『これじゃだめだ』と言って出さなかったんです。本当にちょっとした火加減と加熱時間ですよ。しかも2度やらせて、2度確認し、メニューを変える、といって出しませんでした。

言ってみれば、僕たち日本人が『寿司はこうあるべし』というストライクゾーンがあるように、彼らは青椒肉絲にストライクゾーンがあるわけです。それを目の当たりにしたとき、基本的な奥深さを学ばないといけないなと思いましたね」

松雲澤の青椒肉絲。

「思えば私が10数年前、初めて成都で食べた青椒肉絲は激辛だったんです。でもめちゃくちゃおいしくて…。その話を料理長にしたところ、『青椒肉絲は6月上旬の二荊条(にけいじょう/アルジンティァォ:唐辛子の品種)でないとおいしくない』っていうんですよね。昔はそういう認識があったわけです。

この青椒を、日本ではもっぱらピーマンで代用しますが、私が日本で修行した店では、ピーマンの繊維を潰して切っていて、なぜだろうと思っていました。それで今回、厨房で見ていたら、青椒を回し切りにして絲にしているんですよ。ちょっと捻じれた感じでね。

ここでもまた、考えさせられるわけです。これは、昔ながらの辣青椒(辛い青椒)から改良されてきた結果なのかな?とか。

青椒肉絲の盛り付け。

現地の感動を今の日本でどれだけ再現できるのか、ここは大きなチャレンジです。素材自体が違いますからね。青椒肉絲の青椒に最も近いのは伏見唐辛子。でも値段が張りますし、辛さも違います。今は栽培することも考えています」。

どうだろう。身近な青椒肉絲ひとつとっても、実に奥深いのである。

中国の肉・日本の肉

さらに、肉についても深く考えさせられた。

「松雲澤で使っている肉は、屠畜場からチルドや真空にすることなく、生で運ばれてきているからか、すごくぷりぷりした状態なんです。

よく、中国人が『日本に来て肉を食べたが、臭くて食べられない』っていうんですよね。現地の方に聞くと『屠畜の仕方が違う』といいますが、僕は恐らく流通の違いだと思います。日本はチルドにしないと流通できず、その時点で脂肪が固まってしまうじゃないですか。でも、松雲澤では朝屠畜された肉が、その日のうちに店に回ってきますから」

松雲澤で仕入れた豚肉。

もうひとつ驚いたのが、肉の給水率だ。「例えば獅子頭(大きな肉団子)の場合、肉を細かく切って使いますが、あちらでは肉の半量くらい水分を入れるんです。日本の肉だったら絶対に吸わない量ですよ。これを吸い、しかも吸って形になるんです。

そして、鮮度がいいから、豚マメ(肝臓)もレバーも感動するくらいおいしい。でも、日本で同じように調理しても、豚マメは臭いといわれるだろうし、レバーはモソモソするはずです。素材の違い、特に肉をどうするかは、日本で再現する際に、大きな課題になると感じました」

豚肉の脂の処理。

>NEXT:100年前の四川名菜を今の東京で出す「老四川 飄香」の挑戦