盆菜の起源。

最後に、盆菜の歴史をご紹介しましょう。盆菜発祥の言い伝えのひとつは、南宋がモンゴルの元軍に攻められ、広州湾の崖山の海戦(1279年)で滅亡する寸前のときのこと。崖山は、陳皮で有名な江門市新会のあたりです。

幼い皇帝とその残存兵が東莞(現在の広東省東莞市、深圳市、香港を含むエリア)に逃げ延びたとき、近隣の住民たちが皇帝陛下に食べ物を献上しようとしたそう。しかし決して豊かではない地域だったため、近隣の家がある限りのご馳走を集め、お盆に乗せて献上した…というのが一説です。

また、もう一つの言い伝えも南宋の時代。将軍で詩人の文天祥(客家人)が、元の兵に追われて東莞に来たときのこと。 地元の漁民が米しか持たない忠臣たちを哀れみ、船の上の食材と採れたての海老などを兵士たちに渡しました。船の上は十分な陶器の食器などあるはずもなく、木製の盆に盛って渡した…というのがもう一説。

いずれにせよ、土楼で有名な客家人の料理として、広東南部の圍村(城壁に囲まれた客家の村)で、長年に渡って受け継がれてきた伝統料理が、この盆菜なのです。

また、盆菜には格式があります。トップクラスは、貴人を迎える「九缽菜」。次いで結婚式など大宴会で振る舞われる「兩盞四缽」または「九大簋:九大碗。郷土の九大料理という意味)」。最後に、料理を全部まるごと一つのお盆に盛り付けた、今回の提供スタイルの「盆菜」です。

ちなみに、香港の農村で開かれた結婚式で振る舞われた「九大簋」がこちら。さきほどの写真は、ひとつの盆にすべての食材を重ねていましたが、こちらは別々の皿にひとつずつ調理された食材がてんこ盛りになっています。

それぞれの食材は重ねず、それぞれの椀で提供されます。(photo by 張丹丹、林文智)
香港の農村で開かれた婚礼宴会。広場で数十から数百卓のテーブルを並べて宴会をします。(photo by 張丹丹、林文智)

料理人の知識と腕が試される伝統的な広東の宴会料理は、東京では一握りの超高級店を除いて実現が難しいと思われますが、横浜なら広東省出身の料理人の層は厚いです。もし、横浜中華街に馴染みの古い店があれば、お願いしてみてもいいでしょう。

中国の食文化を理解するお客さんがいて、その注文を受け止める懐の深い店がある…そこは横浜の魅力ひとつだと思います。また、こういう宴会が実現でき、みんなが喜んでくれるなら、幹事も苦労のし甲斐があるというものです。

なお、この料理は「山に薪を拾いに行くところから準備に3日かかる」と現地では言われるほど手間がかかるものですので、予約は必須。今回、筆者は24人集めて店を貸し切りました。

もしどこかの中華料理店で、この盆菜が予約メニューに出ていたら、ぜひ召し上がってみてください。人生の記憶に残る経験になると思います。


取材協力
南粤美食(なんえつびしょく)
住所:神奈川県横浜市中区山下町165-2 INビル(MAP
※開港道。横浜ローズホテル向かい
TEL:045-681-6228
※予約は5名以上
営業時間:ランチ11:30~14:30 ディナー17:00~20:30
不定休


参考資料
『元郎四季好日子』鄧達智・鄧桂香 著
吾土吾情:同吃一盆菜(YouTube)
香港政府観光局 discover HongKong(ウェブサイト)
ミシュラン・ガイド香港(ウェブサイト)
毎日頭条(ニュースサイト)
有待(ウェブサイト)
中華の乾物について


text & photo:ぴーたん
ライフワークのアジア樹林文化の研究の一環として、台湾・中国・ベトナム・マレーシアを回って飲食文化も研究。10数年前の勤務先で、江西省井岡山に片道切符で送り込まれたことを機に、中国料理の魅力に目覚め、会社を辞めて北京に自費留学。帰国後もオーセンティックな中国料理を求めて、横浜をはじめ、アジア各国の華僑と美味しいものについて情報交換をしている。