中華の料理人といえばほとんどが男性。しかし実は、いるんです。中国料理の道を志す女子、名づけて「中華女子」…が!
中華女子現る!
みなさんは、[RED U-35]をご存知でしょうか?
これは現在進行中にある、日本最大級の若手料理人コンペティション。2013年7月下旬、ベスト50となるブロンズエッグが発表されましたが、内9名が中国料理業界の方でした。
見れば1人、そこに女性の名前があります。中華の厨房といえば、やはり男性のイメージ。そして実際、厨房は男性社会といっていいでしょう。では、いったいどんな女性が鍋を振っているのか…?
そこで、ブロンズエッグが発表になった翌日、神戸まで彼女に会いに行ってきました!
▼「いつやるの?今でしょ!」は真実です
ドキドキしながら店を訪ねると、笑顔で出迎えてくれたのは、正真正銘の女性でした(当然か)。服部萌さん、29歳です。
U-35に応募した経緯を尋ねると「このコンテストを知ったのって、締め切り1週間前だったんですよ」と服部さん。同じく中国料理の料理人をしている友人のメールがきっかけだったのだとか。
「最初は『コンテストなんて私には無理』って言ったんですが、『このコンテストはちょっと違うよ。技術云々というより、人間性とかやる気とか、そういったことも審査対象になる。一緒にやろうや』と言ってくれたんです。」
服部さんが中国料理に関わって10年。そして、中華の厨房に入るようになって4年。
「やるなら今かな、と思って応募しました。」
▼パティシエから中国料理人へ…「炎」の転身!
そんな服部さんのキャリアは、実は異業種から始まります。京都の製菓学校を卒業後、神戸の製菓店に勤務。しかしパティシエの仕事に就いて早々に「あまり自分には合っていないかもしれない」と直感的に思ったそう。
「お客様の表情が見えない。味の感想もわからない。イートインがない店だったので、あまり躍動感を感じるところがありませんでした。1日中、やるべきことをどう切り盛りするかというプレッシャーと戦いながら、工場のように、厨房で黙々とケーキを作っていたんです」
そこで転身した先が、たまたま中国料理店。「軽い気持ちでした。前の職場を辞めて生活のつなぎとして入ったので、最初はホールスタッフでしたしね」。
しかし彼女はその店で、今まで知らなかった世界の扉を開けることになります。
「食材が炎と一緒に煽られるダイナミックさとか、厨房から立ちのぼる香辛料の香りや鉄鍋香とか…。そこはパティシエと同じ食の現場でも、まったく違う世界でした。これは絶対アタシに合ってる、そう思いました。ピンと来るものがあったんです」。
そして、何より彼女が衝撃を受けたのは、「中華ってカッコいい!そしてこんなにおいしかったんだ!」ということ。
「それまでは、中華というと汚い、脂っこいっていうイメージしかなかった。その概念を変えてくれたのが、その店の厨房に立っていた花田だったんです」。
老虎菜のダック仕込み風景
▼ホールスタッフから厨房へ…見て学んでの10年間
そこで服部さんは、すぐさま「厨房に入りたい」と店に直談判。ですが、そこでは「女性は中華厨房に入るべからず」という意向があり、調理スタッフとしては登用されません。
しかしそれでも服部さんは諦めませんでした。中国料理のおいしさ、そして思わず目を見張るような技術を見せてくれた花田さんに「中国料理を教えてほしい」と猛アタック。最初は驚いたものの、花田さんは彼女の情熱に理解を示し、少しずつ、服部さんに中国料理を教えるようになります。
「ちょっと時間ができたときとか、まだ私が知らない料理を作るとき、『やるで』って声をかけてくれました。教えるといってもレシピががあるわけじゃなくて、作っている姿を見て学ぶという感じ。見て学んだら、自分でもやらせてもらうのですが、失敗したら『原因は自分で考えてみろ』、と。
花田さんはあれこれ細かく言わないんですよ。でも、謎解きみたいでそれも面白かった。点心類は、店で学んで、家で練習したりして…。食べ歩きにも連れて行ってもらいました」
老虎菜で人気の前菜のひとつ、「牛ハチノスと牛タンの四川麻辣ソース」。
そんなある日、ついに彼女が厨房に入る切っ掛けが訪れます。
「調理スタッフのひとりが厨房で大怪我をしてしまったんです。そこで、急遽代役が必要となったんですが、料理人が周りにいない。『どうしよう?』ってなった時、花田さんが『こいつができます』って推薦してくれたんです」。
中華修行足掛け5年。厨房に入るのに、もはや誰の反対もありませんでした。
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TEXT 佐藤貴子(ことばデザイン)
PHOTO 料理:老虎菜提供 人物:佐藤貴子(ことばデザイン)