羊飼いという言葉は、広大な大地と長い歴史と、異国の風を思わせる。事実、羊飼いは約5,000年前のアナトリア半島(アジア大陸最西部。現在はトルコ共和国のアジア部分)に生まれたといわれ、紀元前からある最も古い職業のひとつだ。

そのせいか「父は内モンゴルの羊飼いです」と言われると、それだけで別世界を感じるのは私だけではあるまい。オーナーシェフのスヨリトさんが、初めて羊を捌いたのは14歳だという。

『草原の料理 スヨリト』の3階の壁には、内モンゴルの風景がペインティングされている。エアコンまで丁寧に塗られており、まさに草原の風が吹く。

生まれた時から羊とともに。羊肉をおいしく食べさせるモンゴル族の知恵

『草原の料理スヨリト』は、中国の内モンゴル自治区烏蘭浩特(ウランホト)出身のスヨリトさんが開いた店だ。

羊飼いであり、料理人でもあった父上の背中を見てこの道を選んだ。現地の調理師学校を卒業した後、初めて自分1人で羊を焼いたのは18歳のこと。いくつかの店を経て、2013年フフホト市に『好特老飯店』を開業した経験もある。

来日は2016年。味坊グループで羊の丸焼きというと、必ず出てくる青年を憶えている方もいるだろう。そう、あの彼だ。

マリネした羊のモモ肉を扱うスヨリトさん。

得意とするのは、子どもの頃から慣れ親しんだ羊肉の扱い。1種類の肉だけと聞いて単調に思うかもしれないが、その調理方法は決して単純ではない。なぜなら羊肉は、筋の多少、コラーゲン質、脂の量など部位による肉質の違いがあり、モンゴル族にはすべての部位を余さず美味しく食べる技と文化があるからだ。

スヨリトさんが踏襲するのは、モンゴル族の両親から教わった伝統的な羊肉の仕込み。自らの工夫も加えながら、部位の特性を引き出すマリネ液に漬け込んで焼いたり、煮込んだりと、羊のおいしさを引き出す技に長ける。

マリネ液にはにんじんやセロリなど驚くほどたくさんの野菜が使われる。

串焼き、塊、丸焼きまでも炭火焼き。部位それぞれの美味を味わう

例えば、お通しに出されるラムショルダーの串焼き。この部位は玉ねぎ、卵、塩を揉み込んで肉が軟らかくなるよう漬け込み、タマリスクの枝に刺して炭火で炙って焼き上げる。

タマリスクは中国で紅柳と呼ばれ、内モンゴル自治区や新疆ウイグル自治区で羊肉を焼く際に用いられる定番の道具。炭火で焼くと軽い薫香がつくと重宝されており、この串の存在が旅情をそそる。

お通しはラムショルダーの串焼き。この1本で心を掴まれる。串はタマリスク(紅柳)というのがニクい(その他の串焼きは違います)。箸袋も内モンゴルで制作したそうだ。

ここで4人以上集まるなら、塊肉もいい。部位は腿肉とスペアリブの2種類で、内モンゴルで特注した専用の窯を使い、中に炭を入れて焼き上げる(要事前予約)。

脂肪が少なく肉が多くつく腿肉は、羊肉ビギナーにもおすすめ。スペアリブは骨の周りについた風味豊かな肉が魅力。残った骨を持ち帰って炊けば、羊の骨のスープが作れて2度楽しめる。

窯は内モンゴルから取り寄せた特注品。中に炭を入れて熱源とし、庫内を約200度に熱してからじっくりと焼いていく。
「腿肉焼き」大。外はカリッ、中はしっとりと焼き上げてある。スパイスはかかっているが小なめに留めており、肉の風味を生かす。

こうしてじっくりと焼かれた羊の塊肉は、一口食べて「うまい!」とストレートな感動を呼ぶ。そのままで十分に味わい深いが、スヨリトさんのお母さんの味だという発酵唐辛子と韮花醤(ニラの花の発酵ペースト)、焼烤料(BBQスパイス)をつけると恐ろしいかな、さらに箸も酒も進んでしまう。

「腿肉焼き」は写真を撮らせてもらった後、厨房で切り分けてきてくれる。同じ腿でも場所によって異なる食感や味わいを楽しもう。
塊肉のモモ、スペアリブ、丸焼きにつく焼烤料(左下)、発酵唐辛子(右下)、韮花醤(ニラの花の発酵ペースト:上)。

さらに15人ほど集まれば、丸焼きの注文も夢ではない。それに加えて、餃子、焼売、肉団子なども、ひとつひとつに漢民族のそれとは異なるスタイルがあり、感動がある。

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