東北麻辣燙(とうほくマーラータン)って、食べたことありますか? その名の通り、中国東北式のマーラータンです。

「えっ?マーラータンは四川の料理でしょ」と思う人も少なくないでしょう。今や“麻辣”は、日本で四川料理の代名詞。すっかりポピュラーな味わいですし、四川発祥であることも間違いありません。

ではなぜ、東北麻辣燙があるのでしょうか。そこには大陸を渡っていったマーラータンの伝播と進化の歴史があります。

※この記事では、基本的に「マーラータン」とカタカナで記します。

麻辣燙とは?
[麻辣烫:マーラータン:málàtàng]
花椒の痺れと唐辛子の辛さを効かせた「麻辣」味のスープに、好きな具を選んで入れて食べる中国のファーストフード。「燙(烫:タン:tàng)」は熱々の湯やスープで食材に火を通す調理法のこと。スープを意味する名詞「湯(汤:タン:tāng)」を使った「麻辣湯」という表記も見るが、マーラータンに使う場合は厳密に使い分けていない模様。同一店で混用されていることもある。

 

西南から東北へ!料理が大陸を移動する、麻辣燙(マーラータン)簡史

今では中国全土で食べられるようになったマーラータンですが、その誕生の地は四川省南部・楽山市五通橋区牛華鎮。この辺りは岷江(みんこう:ミンジャン:mínjiāng)と呼ばれる長江の支流があり、本流の三峡にかけて、流れの速い川筋が続く場所でした。

そんな岷江といえば水運の要所。そこで川筋でロープを引っ張り、船を進める繊夫(纤夫:チェンフー:qiànfū:「船引き」の意味)の食事がマーラータンの起源になったといわれています。

三峡エリアで活躍した繊夫(船引き)の姿を再現した『重慶博物館』の展示。船引きについては、人気の中国料理マンガ『中華一番!極』第1話「記憶の架け橋」の冒頭でも紹介されています。photo by Tsutomu Kosugi
民国時代の三峡繊夫の姿を伝える往年の写真。『重慶博物館』の展示。photo by Tsutomu Kosugi
楽山といえば大仏。この前を流れる岷江は水難事故も多く、河川の氾濫を鎮める目的で713 年の着工から約90 年の歳月をかけて建設されました。現在はユネスコの世界遺産に登録されています。photo by Takako Sato

その食事は、川のほとりで石を積み、甕をのせ、拾い集めた木の枝で火を起こし、川から汲んだ水を入れて、唐辛子や花椒などのスパイスを加え、近隣の野菜などを入れて煮立たせたというもの。

これがお腹いっぱいになれるのはもちろんのこと、川で濡れて冷えた体を温めると同時に、寒さも湿気も吹き飛ばせて一石二鳥。作り方のシンプルさも評判となり、マーラータンは流域の人々へと広まっていきました。

のちに波止場の商人がマーラータンに商機を見出し、具材や温め方を改良しながら、工夫を凝らして売り歩くようになります。するとマーラータンは船引きの食事にとどまらず、地域の名物へと発展。今や四川名物となっているのは世の知る通りです。

重慶市獅子坪 『生活麻辣燙」のマーラータン。選んだ具をテボの中に入れて、麻辣味の汁で煮て仕上げます。photo by Takako Sato
重慶市獅子坪 『生活麻辣燙」のマーラータン。汁を飲むのではなく、汁で味付けするのが重慶式。photo by Takako Sato

こうしてマーラータンは楽山の街、さらに四川を越え、津々浦々へと伝播していきます。しかし、中国大陸は広く、食の嗜好もさまざま。麻辣がビシッときいた味付けが口に合わない地域が出てきたのです。

そこで味わいにガラリと変化をもたらしたのが東北人。まずはこの料理の核と言える「麻辣」の度合いを、好みで選択できるように変更。さらに味の要に躍り出たのが麻醤=芝麻醤(ごまだれ)です。

この麻醤こそ、東北式マーラータンの代表的特色。この味わいを愛する人は「東北式麻辣燙的霊魂(东北麻辣烫的灵魂:マーラータンの魂)」「麻辣燙の麻は麻醤の麻だね!」と、麻醤の重要性を表現するほど。これが次第に市民権を獲得していきました。

例えば、日本でも複数店舗を構える巨大マーラータンチェーン『楊國福』は、中国東北地方の黒龍江省哈爾濱(ハルビン)発祥。ここでは最初からスープに麻醤(芝麻醤)を入れていないものの、トッピング(別料金)として追加できます。同様に、東北地方発祥のチェーン店である『張亮』も、調味コーナーに辣油やニンニクなどと並んで麻醤が見られます。

さて、そんな東北式マーラータン。あまり大々的に東北を謳った店を見ることがなかったのですが、なんと、JR京葉線蘇我駅そばに、その名もズバリ『東北麻辣燙』という店ができていたのです!

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