秋の風が吹き始めると、横浜中華街の各所に張り出される上海蟹のポスター。昔は一番上等なものは香港に、次にいいものは日本に来たそうですが、昨今、よいものは中国でほとんど消費されてしまうとか。
それでも食べてみたい上海蟹。2018年の秋は広東料理店「大珍楼」の上海蟹宴会を紹介しましたが、2019年は、今筆者が日中両国合わせて最もおすすめしたい上海料理店「揚子江」の上海蟹コースを紹介したいと思います。
横浜で40年。上海料理店「揚子江」で羊羹を味わう
場所は、横浜中華街から歩いて10分ほどのオフィス街。最寄り駅は東急東横線・みなとみらい線日本大通り駅、馬車道駅、JR関内駅です。店の歴史はこの地で40年。厨房では高齢のシェフが1人で鍋を振っているため、完全予約制での営業です。
とある土曜の夜のお客さんは、我々2人だけ。ピシッとしたオーナーシェフと3人の空間に少し緊張したものの、「お客さんが多くて手が足りないときは、息子の嫁さんに来てもらうんだよ」と黄成惠(こう せいけい)シェフ。その言葉で場の空気が和み、コースがスタートしました。
上海家庭風冷菜と名付けられた前菜盛り合わせは、窯で焼いた叉焼、白切鶏、栗、クラゲの頭、フレッシュザーサイの浅漬け、羊羹。クラゲの頭は、歯ざわりや弾力が普通のくらげとはまるで違いますね。鶏肉はうっすらと断面にロゼを感じさせる仕上がりです。
ところで「羊羹ってなんだ?」と思った方もいらっしゃるでしょう。
羊羹は「揚子江」の名物で、羊肉をゼリー寄せにしたもの。上海料理店の羊羹なので、デザートのような甘いものではなく、かといって筆者も中国で食べたことがない、見つけられない料理です。
そもそも羊羹は中国で、羊肉で作っていた羊羹(羊のあつもの)。冷めて冷え固まったものが、このような煮凝り状の一品です。それが禅宗の僧侶の手によって日本に渡り、精進材料で小豆の羊羹になり、現在では日本のお菓子として中国人に受け入れられている…、そう思うと不思議な感じがしますね。
羊の部位はもも肉を使っているそうで、舌触りは和食の煮こごりにそっくり。臭みはまったくなく、どこか懐かしい味わいさえします。現代中国ではほぼ見ることのできない料理が横浜に残っている現象は何度も見ていますが、この羊羹もその一つと言えるでしょう。
シンプルな煮込みや炒め煮に技あり!主菜の数々
前菜を堪能したら、待望の熱菜(温かい料理)へ。まず一品目は、フカヒレの上海蟹味噌煮込みです。
蟹味噌の旨味が満ちるスープで煮込まれた胸びれは、舌の上で逃げ回って踊るような感覚。個人的には尾びれや背びれよりもこの食感が好きです。上海蟹味噌というと、濃厚と表現されることが多いのですが、脂分を感じさせない淡味仕上げはこの店ならではといえるでしょう。
お次はエビチリ。自分では絶対に頼まないメニューなので「えっ?」と思ったのですが、これがいい意味で予想を裏切る仕上げ方でした。
頭がついている理由は、甲殻類の香りを引き出すとともに、エビ味噌でもソースの色を出しているから。ソースは少なめで、ケチャップはなく、控えめな唐辛子の辛味と、大海老の旨味が合わさっており、今はなき四谷「済南賓館」のエビチリを彷彿とさせます。
続いては野菜中心の料理。銀杏と広東白菜、腸詰の炒めものです。この皿に不満があるとすれば、量が少ない!もっと食べたい!というところに尽きます。
炒めには上湯を使っており、皿に溜まった汁まで後を引く味。このあたりで、一皿一皿のクリアな味わいに、薬膳料理を食べに来たような気持ちになってきました。
また、一般的な中国の家庭料理はこれほど洗練された味わいではないのですが、どこか中国人の家のごはんに呼ばれたような感覚を呼び起こす一皿でもあります。
「何年くらいこのお店をやられているのですか?」そうシェフに尋ねると、「母親の作った店をついだので、ちょうど40年になります。母親が作っていた料理の味をそのまま出しているんですよ」とのこと。
横浜の華僑の子供たちは、こんなにうまいものを食べて育っていたのか、と改めて驚きました。たしかに華僑の友人たちは、上等な味をよく知っています。
上海蟹に蒸し魚。美味淡麗な中華名菜
そして、二品目の上海蟹料理は酔蟹こと酔っ払い蟹です。
「厨房のコンロが少ないから蒸し蟹はできないんで、うちは酔っぱらい蟹だけです」とシェフは言いますが、仕事がしてあるこちらが嬉しい。ふわっと香る酒に絡みつくような、フレッシュ感のある蟹味噌です。
そしてさすがは上海料理、紹興酒との相性は抜群です。オーダーしたのは「紅琥珀」。
あくまでも軽く、塩分は最小限。上海料理ってこんな味だったっけ?と江南地方の味の多様性を知るチャンスのない身としては、どのあたりの味付けなのか、現地調査に行きたくなりますね。
そして中華の花形料理、蒸し魚が登場。中華の蒸し魚のタレは、広東料理の場合醤油ベースが定番ですが、こちらは見ての通り塩味ベースです。
味わいはボケずにクリア。魚をほぐすと、中骨にぎりぎり赤みを感じるカンペキな火の通し具合でした。
筆者は中国に行ったら博物館で陶器を見るようにしていますが、品物は異なるにせよ、伝統的な青い染付の皿は中華が映えてよいなと思います。
そうこうしているうちに、奥の厨房から何かを炒める音が聞こえてきます。
出てきたのは魚香茄子(日本では麻婆茄子と呼ばれます)。
別皿でゆでた麺が盛られており、魚香茄子を好きなだけかけて食べるスタイルです。中国にいたころは、魚香茄子蓋飯という定番のぶっかけ飯をよく食べましたが、締めにこう来たかと。
魚香茄子にはご飯だよね、と思うのですが、さっそく麺に載せて食べてみると、この組み合わせも悪くありません。コースも終盤というのに、ピリ辛で、ますます食欲が出るのが困ったところ。筆者は麺好きなので、一瞬で食べ切ってしまいました。
最後にデザートは手作りの葛のお菓子です。家庭料理と高級料理が交互に出てくる展開が、和風でぴたっと締まりました。
しかし、紹興酒がまだ瓶に残っているのが気になるところ。「すみませんが、紹興酒が少しあるので、なにか一品、おつまみになるものを作っていただけませんか?」とお願いしてみました。
そこで出てきた真っ白な料理がこちら。
なんと、豆腐です。これが、抜群にウマい。しかし、何が調味料に入っているのかわからない。塩味の強いところ、弱いところ、刺激や胡麻油を感じる場所が立体的に構成されていて、一口ごとに風味が変わるのがたまりません。
となると、いったい何が入ってるのか知りたくなるもの。「特別な豆腐をつかってるんですか?」と家人が尋ねました。
「いいや、そのへんのスーパーで買ってきたやつだよ。味付けはにんにくとごま油と塩だけ」
これには度肝を抜かれました。味の決め手となる香りと塩気の塩梅が達人の技。その後、筆者は何度も再現を試みているのですが、どうしても同じ味になりません。
どこでも買えるようなもので、こんなとんでもない一皿を出すんですから、シェフは魔法使いでしたね。
上海料理店は、日本人の口に合わせて広東風に変化していたり、逆にローカル色が濃く、醤油と油と化学調味料の味が強かったりと、おすすめする人を選ぶことが多いのですが、こちらの料理はクリアで上質。
「上海で働いていたころ、幹事として接待向けの高級店にかなり行ったけど、その宴会で一品だけ出てくるとびきりよい料理が、コースの最初から最後まで続く感じだね」と、一緒に行った家人も太鼓判。忘れがたい秋の夜の思い出になりました。
今回ご紹介したお店
揚子江(ようすこう)
住所:神奈川県横浜市中区弁天通2-28 ライオンズマンション関内岩崎ビル204(MAP)
※横浜メディアビジネスセンター前
TEL:045-664-3970
営業時間:11:30~14:00 18:00~23:00
※完全予約制
※上海蟹は8,000円以上のコースから(今回の記事は11,000円のコースより)
text & photo:ぴーたん
ライフワークのアジア樹林文化の研究の一環として、台湾・中国・ベトナム・マレーシアを回って飲食文化も研究。10数年前の勤務先で、江西省井岡山に片道切符で送り込まれたことを機に、中国料理の魅力に目覚め、会社を辞めて北京に自費留学。帰国後もオーセンティックな中国料理を求めて、横浜をはじめ、アジア各国の華僑と美味しいものについて情報交換をしている。