横浜中華街の人通りは少し戻ったものの、大人数の宴会はしばらく無理な社会情勢。その代わりといってはなんですが、1人や2人で散歩の合間、何か食べたくなるようなタイミングでふらりと店に入りやすくなりました。

横浜中華街(photo by shutterstock)

こういうときは、もし店にゆとりがありそうならば、手間のかかる通好みのメニューをお願いするチャンス。例えば巻揚(まきあげ)なんていかがでしょう?

近しい料理に揚げ春巻がありますが、明確に異なるのは、小麦粉の皮ではなく、網脂(あみあぶら)と呼ばれる、内臓の周りの網状の脂を使って具を巻いていること。カラリと香ばしく揚がった巻揚は、コクと香りがあってクセになるおいしさなのです。

「龍鳳」の巻揚。宴会メニューで出していただきました。

豚肉や鶏肉、海老、椎茸、筍、葱、生姜など特別なものを使っているわけでないのですが、これが実においしい。かつては広東料理の宴会の花形メニューだったものですが、次第に華やかなメニューに取って代わられ、今や絶滅危惧メニューに片足を突っ込んでいます。

仮に香港に行ったとしても、ふらりと行って食べられる店を探す方が難しく、しかるべき店で事前に注文などしなければ、お目にかかることはないでしょう。ところが横浜では、巻揚がグランドメニューに載っている店が、少しだけ残っているのです

しかしいつまで食べられるかはわかりません。似て非なる春巻と一文字違いの古典メニューにチャレンジするなら今。おいしい巻揚とビールは、春の散策の最高の楽しみになるはずです。

「お時間いただきますけれど、よいですか?」100年の歴史を刻む「華香亭本店」の巻揚(本牧)

昼の涼しげな風情も、夜のしっとりとした雰囲気も文化遺産そのもの。巻揚を食べるのに、筆者が特に気に入っているのは、本牧の「華香亭本店」です。

「華香亭本店」。美しいファサードとシックな店内で、博物館にいるような気分に。

ここは大正元年から続く100年超の老舗。巻揚はオーダーしてから作り始めるので、ありつけるまでに少なくとも30分はみておきたいところです。

周りを見渡せば、シウマイや黒酢唐揚げなどを頼んで、同じく巻揚の登場まで静かにお酒を傾けて待つ紳士たちがちらほら。店の歴史と貫禄に比べたら、待ち時間なんてむしろ体験の一部ですね。

古くとも磨き上げられた店の佇まいもごちそうのひとつ。こんな風情なら待ち時間も苦になりません。

美しい切り口から見えるのは、中華でおなじみの材料ばかり。筍、椎茸、葱、海老に加えて、彩りのインゲンがポイントになっています。何気ない材料を網油で包んで揚げることで、こんなにも迫力がでるのかと、見て食べて感心すること請け合いです。

ザクザクふわっ!太巻きなのに軽やかな「楽園」の巻揚(横浜中華街)

中華街大通りでひときわ古風な雰囲気が漂う「楽園」。巻揚といえば真っ先にこの店を挙げる人も多く、古典メニューを語る上では外せない名店です。

「楽園」の巻揚
「楽園」の巻揚。皮の食感とタケノコのコントラストがたまりません。

ここで食べられるのは、ひときわ個性を放つ食感の巻揚。ビジュアルはかなりの太巻で、具は葱、椎茸などとともに、ひらひらした筍がたっぷり、ふわっと巻き込まれています。

ファーストインプレッションは、揚げた網脂のザクサクとした食感と鼻に抜ける香り、筍の軽快な食感。さらに噛み締めることで網脂から出てくるコクがなんとも重層的です。脂っこさをあまり感じないのも美点ですね。

横浜中華街唯一!「海南飯店」の肉肉しい巻揚

横浜中華街で食べられる巻揚は、筍と海老が入った海鮮巻揚といわれるタイプが主。そんな中、唯一肉肉しい巻揚を出しているのが「海南飯店」です。

「海南飯店」の巻揚
ピシッと角が立った「海南飯店」の巻揚。この料理に対する作り手の気合いを感じます。

網脂の中には、よくできた焼売の中身のような、うまみのある肉ががっつり。皮、肉、筍の3つの要素からなる“ザクふわザク”の感覚と、肉の甘みが口腔内に満たされる感じは心地よいのひと言で、食べながら一幅の絵を見るかの如く、味わいに立体的な景色を感じます。

揚げ色の美しさも特筆すべきものがあります。黄金色の皮に中央の海老の紅白。こんな巻揚なら、宴会の料理で出てきても目を惹くことでしょう。1人で食べると、ハーフサイズでも腹パンになる満足感が得られます。

何故に絶滅危惧?巻揚が消えゆく3つの理由

巻揚は、豚の胃袋と横隔膜の間にある網脂を用いるのが最大の特徴。網脂の風味が料理に力を与えるとともに、揚げたときのサクサクの食感がこの料理を特別なものにしています。

網脂。フランス料理のパテ・ド・カンパーニュなどに使われるクレピーヌと同じものです。(Photo by Shutterstock)

しかし、香港の美食家の友人に「巻揚は今の香港でもよく食べられるのか?」と尋ねてみると「不健康な脂っこい料理で、そんな料理はいまどきの香港人は食べない」という返答。

かつては網油腰肝巻(豚マメ(豚の腎臓)の巻揚)をはじめ、豚のモツや木耳、筍など、決して高価でない材料を、創意工夫とプロの技で美味しく仕上げることが、広東料理人としての腕の見せ所でもあったのに…。

香港の高級広東料理店「海景軒」の料理人が動画で作り方を公開していますが、それも料理消滅の危機感から技術を絶やしたくない、という想いを訴えるものでした。

考察するに、失われつつある理由は3つあります。

1つめは、近年の健康志向。香港でも脂っこい料理を嫌うようになり、網脂から湯葉に変えたとしても、揚げものを避ける人はいます。

2つめは、網脂を使うコストが高いこと。とあるシェフ曰く「中に巻いている具よりも、具を巻くために必要な、大きなサイズの網脂のほうが高いんですよ」とぼやきます。もちろん揚げる油も新しくなければよい色がでません。

3つめは処理の手間と難しさ。中華で使う豚の網脂は独特の香りがある部位のため、破らないよう掃除をし、温水で洗い、酒で漬け込むなど、使う前の処理が必要になります。

いま厨房にいるベテラン世代が引退したら、香港だけでなく、横浜でもどれだけの店が出してくれるでしょうか。そう思うと、やはり今のうちに食べておいた方が得策。また、同じような材料でも、店ごとに職人の技ひとつでまったく違った個性が出るのが巻揚のおもしろさです。

そこで今回は、先ほどご紹介した3店舗に加えて、さらに個性的な巻揚が楽しめる店を紹介しましょう。

NEXT>食べずに死ねるか!幻のレギュラーメニュー〈巻揚〉を横浜で食べ歩き!