日本と中国、同じ中華料理の厨房でも、現地はこうも違うのか?巨大厨房での中国式指導法を3シェフが語ります!
厨房カルチャーショック
――ところで高木シェフが最初に入った名店「馥園(フウエン)」の規模はどのくらいですか。
高木――調理場に45名くらいです。店は1階が100席くらい、2階に個室が10室ありました。昼のランチメニューなんかなくて、夜も昼もメニューと値段は一緒だから、いい商売してたよね。それでいて大繁盛でしょ。俺、カエルを1日150匹くらいさばかなきゃならなかったんだから。
一同――笑
食用ガエル
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高木――面白かったのはね、この店のシステム。2階にある個室からの注文は、インターホンかマイクでオーダーが入るんだけど、2階と調理場がヒモみたいなものでつながってるの。俺は板場の担当でね、上から洗濯バサミで挟まれたオーダー内容が板場までヒューッと流れてやってくるのよ。ユニークだよね。
――料理は主にどなたから教わったのでしょうか。
高木――料理長でした。デシャップに入る時は、必ず「俺の後ろに付け」っていって、全部味見させてくれたよ。煽りもの(編集部注:中華鍋を振って(煽って)作るもの。炒めものなど)は、だいたい1晩で大皿20枚分くらい作るんだけど、その中から取り皿にチョンと乗せて「味を見ろ」と。アワビとかフカヒレとか、高いものはダメだったけどね。
高木――それと、ラストオーダー30分前、夜9時ごろに料理長がストーブに入って、そこで彼が付きっきりで見てくれました。大切にしてもらったと思うね。それは本当に感謝感謝ですよ。
――日本のオヤジとはどう違いましたか?(編集部注:オヤジ=その店の調理場における総料理長、すなわちボスのこと)
高木――台湾のどの店もそうだったけど、彼らは叩くことがまずないよね。叩いちゃいけないの。昔の日本人は、2度3度言ってもわからないときは平気で叩いてたよね。
陳 ――僕は叩かれてましたね。同級生に毎日ビンタされてました(笑)。
高木――台湾の場合は、叩かれた子はもう調理場に来ないんだよ。
――辞めてしまうということでしょうか。
高木――そう。俺のいた頃は、台湾の方が紳士的だったかもしれないね。特に逸香園(イーシャンエン)はすごくアットホームなところがあって、ホールのマネジャーがリーダーシップを取って、「調理場とホールで勝負だ」とか言ってマージャンやったりしてましたね。そこで俺の誕生会もやってもらったし。
――各店で持ち場は変わらなかったんですか?
高木――どの店も板場です。やっぱりストーブはなかなかやらせてもらえない。経験がある人間が行ったとしても難しいだろうな。
でも、俺の中でテーマを持って現地の調理場に入っていったから、知りたいことはきちんと解決できたね。例えば「小籠包はどうしてあれだけ汁が出るのか」。実はあの頃、日本のオヤジは白湯(パイタン)を使ってたんだけど、それだと小籠包がゆるゆるとして、落ち込んじゃってたんだよね。で、それを台湾で見てみたら、何てことはないもんだ。豚の皮で皮凍(ピートン)(※編集部注:豚の皮を煮込んでとったスープを冷やし固めたもの)を作って入れていたんだね。あと、向こうのコックさんたちが旨いと思う店に一緒に行けたのも勉強になったなあ。今でこそ鼎泰豐(ディンタイホン)は世界的に有名になったけど、当時(1988年)は無名で、日本人観光客なんて誰もいなくてね。彼らが行こうっていうから俺も行ったんだけど、うまいなぁと思った。
鼎泰豐(ディンタイホン)
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小林――高木先生もおっしゃったように、僕も鍋を振るってことは一度もなかったし、下処理とか、本当に基礎的なお手伝いしかできなかったですけけど、やっぱり現地の厨房でいろんなものをずっと見ていられたのはすごく面白かったですね。
陳 ――僕は、最初の3ヶ月間は師匠が「ずっと俺の後ろに付いておけ」と「俺の味を見ろ」ということでやっていました。その後板場に移ったんですが、10人くらいいたでしょうか。オーダーが入ると、ここに竹串に付いた伝票が飛んで来るんですよ。それで、みんな僕の頭にポーンとぶつけてくる。狙ってるんです。
当時は言葉も最初わからなかったんですけど、確実に悪口を言われてることはわかって。悔しくて、この野郎いつか見てろよ…と思ったし、たまに喧嘩もしました。
でも、休憩時間にバスケットやったり、麻雀やったり飲んだり、まかない作ったり、時々そこで麻婆豆腐を作ったり。そうこうしているうちに、「なんだ、お前美味いじゃないか」ってなって(笑)。「だから俺、中華料理やってるって言ったろ?」と言えるまでに、半年かかりましたね。それまではとにかく虐められて。あの時、虐められるって辛いんだなと、心底思いました。あれを耐えるって大変ですよ。
小林――向こうの人は特に、日本人と感覚も違いますよね。本当に他人というか。
高木――育った環境も違うし。
一同――(うなずく)
――厨房において、カルチャーショック的なことはありましたか?
高木――いっぱいありました。一番はスープの取り方。当時「馥園」では、鶏を蒸して、その肉汁だけを使ってたんだ。水は一切使わなかった。
それで日本に戻ってきて、まずはスープの取り方を変えようと思ったの。でも、馥園とまったく同じようにやったらあまりにも高値になっちゃうでしょう。だからグルタミン酸(※)を使うのを徐々に減らしていきました。まずはランチの時間帯から減らしていって、使わないようにするまでに約1年かけました。
何で1年もかかったかっていうと、味の素を入れた味に身体が慣れているから、フライパンやってる子が満足しないんだよね。俺が「入れなくていいんだよ」って言っても彼らは不満足。だから俺にちょっと隠れて入れる。それには仕方なく目をつぶったけどね。それにしても「使っちゃいけないんじゃないけど、使う量を間違えないで欲しい」ということはだいぶ言いました。
逆に言えば、それほど僕らの時代はガッポリ入れていたんですよ。ラーメンの中には小さじ1杯くらい味の素が入ってた。小さいときなんて、おふくろに「味の素かけて食べなさい。頭よくなる」とバンバンかけて、雪が降ったようになったもん食わされていたもんね。ホントの話ですよ。
グルタミン酸ナトリウム
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陳 ――スープの取り方は逆の意味でショックでしたね。僕は四川飯店で5年くらい勉強した後、中国に行ったんですけど、日本に比べるとスープの取り方が雑なんです。お世話になったところをはじめ、大型店のほとんどはチキンパウダーを入れていました。
思うに、あっちのレストランは大規模店が多くて、2000㎡とか3000㎡級のものがあちこちにあって、受け入れる人数も半端なく多いわけです。だから、その人数をさばくのにいちいちスープを丁寧に取っていられない…という考えもあるのかもしれません。
――最初からいきなりチキンパウダーを入れちゃうんですか。
陳 ――そうですね。僕もびっくりしました。でも、ちゃんとやってるところもあるんですよ。それはたいだいが小さいお店ですね。
小林――香港では上湯はきっちり取りますが、二湯は薄くなりますから、味付けのバランスをとるためにチキンパウダーを入れていました。あと、広東料理は野菜の下ごしらえとして、油通しよりはボイルすることも多いんですが、ゆで湯にチキンパウダーを入れてコクを出す、というようなこともやってますよね。
チキンパウダー
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陳 ――一方ですごいなと思ったのは、香辛料の扱い方。香辛料の使い分けや、ラー油の違いなどについてはすごく勉強になりました。と思うとともに、自分は日本で生まれ、日本人でよかったなともすごく感じたんです。だって、日本料理の味ってすごく繊細な仕事から生まれているじゃないですか。スープの取り方にしても何にしてもね。
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本場のスープの方が手抜き感があった、というのは意外な事実。大量に消費される環境を考えるとわからなくもないですが、本場=本格派、というイメージでいくとギャップを感じてしまいますね。
日本は、昆布と鰹節を中心とした「天然だし文化」が根付く国。さらにここ数年は素材重視、品質重視の流れもありますから、やはり日本では、イチからしっかり作った、ふくよかでエグみのない、天然スープが支持されるように思います。
さて、次回は現地でウケた日本の味をご紹介します。留学予定のある方は、覚えておくと役に立つかも?
Text 佐藤貴子(ことばデザイン)
Photo 林正、80C編集部