これを読めば中国各地の食文化がわかり、中国の地理に強くなる!『中国全省食巡り』は、中国の食の魅力を毎月伝える連載です。

広大な中国では、地域が異なれば国が変わったかのように料理も変わる。「中華料理」「中国料理」などという言葉ではひとくくりにできない多彩さがあるのだが、今のところ、日本で知られているのはその一部でしかない。そこで、毎回中国の省・直轄市・自治区から1つの都市を選び、その土地ならではの料理の中から僕が忘れがたい味を3つ厳選して紹介していくというのが、この連載の趣向である。

人気順や知名度順で選ぼうとすると、どうやっても異論反論が出るので、料理の選定基準は下記の通りとしている。

・その料理のことを思い出すだけで、僕が思わずニヤけてしまうもの

・その地域にもう一度行くとしたら、僕が必ず食べたいもの(実際に食べているもの)

・その料理への思いが高じて、僕が自分でも作って食べたいと思うもの(実際に作っているもの)

要するに、「筆者の思い入れの強さ」である。あまりにも我の強い基準で恐縮だが、ああでもないこうでもないと悩みに悩んで選び出した料理は、いずれも必ずや普遍的な魅力を備えているものと信じている。

酒徒(しゅと)

何でもよく飲み、よく食べる。学生時代に初めて旅行した中国北京で中華料理の多彩さと美味しさに魅入られてから、早二十数年。仕事の傍ら、中国各地を食べ歩いては現地ならではの料理について調べたり書いたりしている。中国生活は合計9年目に突入し、北京・広州を経て、現在は上海に在住中。好きなものは、美味しい食べものと知らない食べものと酒。中国全土の食べ歩きや中華料理レシピのブログ「吃尽天下@上海」を更新中。Twitter:@shutozennin

 

食の桃源郷・西双版納(シーサンパンナ)

連載第2回の舞台は、雲南省の最南端に位置する西双版納傣族自治州(シーサンパンナ ダイ族自治州)だ。

中国というより、東南アジアの香りがする街である。自治州の中央を貫くようにメコン川(瀾滄江)が流れている。州境はそのままラオス・ミャンマーとの国境となっており、タイもすぐそこだ。州内の人口は、ダイ族(傣族)、ハニ族(哈尼族)、ラフ族(拉祜族)といった少数民族が7割以上を占める。この街では、漢族は少数派だ。

こうした多様な文化が交錯することで生まれた、素朴ながらも刺激的な調理法。亜熱帯の大自然が育む力強い食材。いわゆる中華料理のイメージとはかけ離れた料理が、この街にはある。しかも、その料理のひとつひとつが「食とは何か」「美味とはなにか」という根源的な問いを含んでいるようで、若い時分に西双版納を旅した僕は大きな衝撃を受けた。

そう、雲南省の省都・昆明を差し置いて、辺境の西双版納を舞台に選んだのは、完全に筆者の趣味である。かつてさだまさしは「あこがれの雲南」という歌で「遥かなる雲南 夢の西双版納」と歌ったが、僕にとって、西双版納は食の桃源郷なのだ。

そんな桃源郷からたった3つの料理を選ぶのは実に難事だったが、それだけに胸を張ってオススメしたい。但し、一帯一路政策の重要拠点のひとつとなった西双版納は、今や開発の真っただ中にある。それに伴い、食材は大量生産化され、料理も現代化する傾向にあるようだ。食べに行くなら早いに越したことはない、と言い添えておこう。

酸と辣と香りの洪水!檸檬鶏(柠檬鸡/ダイ族のゆで鶏サラダ)

檸檬鶏
檸檬鶏

檸檬鶏(ニンモンジー)は、西双版納の少数民族の中で最大勢力を誇るダイ族の料理。ダイ族料理の店ならば出さない店はないといわれる名物料理だ。見るからに旨そうなオーラが漂っている。食べる前から旨くて当然だ、という気がしてくる。

料理名を直訳すれば「レモン鶏」になるが、この料理で使われるのは、タイで言うところのマナオ(キーライム)である。西双版納では、檸檬と言えばマナオを意味するのだそうだ。

しっとりと茹でた鶏を常温まで冷ましてから荒く割き、香草や生唐辛子を刻んで和え、マナオの果汁をたっぷり絞り入れてある。香草は何種類も使われていて、ミント、青葱、大芫荽(ダーイェンスイ:香菜に似た香草)、更に…正体不明の何か。恐らく、店によって色々な組み合わせがあるのだと思う。

檸檬鶏
真っ黒な烏骨鶏で作った檸檬鶏。

鶏肉に汁や香草や生唐辛子をたっぷりからめてから、口に入れる。すると、様々な香草の香りと共に、マナオの爽やかな香りとまろやかな酸味が口の中で弾ける。もぐもぐと鶏肉を噛むうちに、生唐辛子の激烈な辛さがじんわりと舌に広がってくる。この辛さが広がって初めて、檸檬鶏の旨さが完成する。華やかな香りと酸味と辛味の全てが食欲を刺激して、箸が止まらなくなる。

味付けは至ってシンプルで、恐らくは塩だけではないか。それでも物足りなさを全く感じないのは、鶏自体の旨さもあってのことだ。しっとりとして、柔らかいけれども歯応えがあり、味が濃い。マナオや香草や生唐辛子といったクセのある面々に周囲を囲まれても、主役の座を譲らない。こういう旨い鶏があってこそ、成り立つ料理なのかもしれない。

合わせるべき酒は、自烤酒(ズーカオジゥ)だ。この地域では、とうもろこしや穀物で醸した蒸留酒のことを烤酒(カオジゥ:炙り酒。要は焼酎)と呼ぶ。頭の「自」は「自家製」という意味だ。

地烤酒
地烤酒。西双版納での食事は、この酒がないと始まらない。

アルコール度は50度前後。単式蒸留なので雑味があるが、それが酒好きにとっては貴ぶべき風味になる。生唐辛子で燃え盛る舌でちびりと舐めると、酒の甘味が癒しとなり、思わず頬が緩むこと請け合いだ。

地烤酒醸造風景
とある自烤酒の醸造所にて。こういった単純な蒸留設備で醸されている。

鶏肉があらかたなくなっても、まだお楽しみがある。ダイ族料理の店には必ず糯米飯(蒸したもち米)があるのだが、これをひと口分ずつ手で取って、余った汁に浸して食べるのだ。すると、ただのもち米が酒の肴に化ける。延々と飲み続けているうちに腹もふくれ、〆の主食問題まで解決してしまうのだから、素晴らしい。

糯米
糯米飯。腹にはたまるが、思わず食べてしまう。
糯米飯青のりがけ
糯米飯は手で食べる。何につけて食べても自由。これは川海苔をつけたところ。

聞けば、近隣のタイ・ラオス・ミャンマーにも檸檬鶏に似た料理があるという。檸檬鶏に限らず、ダイ族の料理には東南アジアを想起させるものが多かった。それこそ蒸したもち米だってそうだ。国を越えて、料理は繋がっている。国境なんて人間が後から引いたものに過ぎないということを舌で理解できるのが、西双版納だ。

余談になるが、西双版納の鶏は実に旨い。今回は檸檬鶏を選んだが、小種傣(シァォヂョンダイジー)と呼ばれる、小ぶりの地鶏を丸ごと焼き上げる烤鶏(カオジー:焼き鳥)もオススメしておきたい。炭火で焼いて塩を振っただけの鶏が異様に旨く、食材の力というものをひと口ごとに感じることができる。

烤鸡
炭火で豪快に焼き上げる烤鶏。立ち昇る香りがもう旨い。
烤鸡
香ばしく焼きあがった烤鶏。手で持ってガブリとやると、たまらなく旨い。

食材に勝る調理なし。良い食材は手をかけなくても美味しい。圧倒的な食材の力を目の当たりにすると、あれこれ手を加えて見た目を華やかに仕上げた創作料理なんてものは、二流の食材しか入手できない都会のグルメごっこかもな、などと思ってしまうのだった。

ウホ、苦い→もう一杯!牛肉苦胆湯(牛肉苦胆汤/牛肉の激苦スープ)

牛肉苦汁湯
牛肉苦胆湯

牛肉苦胆湯(ニィゥロウクーダンタン)もダイ族の名物料理だ。彼らの言葉では、撒撇(サーピエ)という。

茶色く、どろどろとして、何とも怪しげな見た目である。名前から、牛肉が入った苦いスープかなと推測はできる。実際、その推測は正解だ。しかし、いざ食べれば、ハンマーで頭をぶん殴られたかのような衝撃を受けることだろう。

何故って、とてつもない苦さなのだ。日本人が食べ物の苦さとして想像する苦さを遥かに超えて苦い。だから、他のものに例えようがない。本当に、ただ単純に、びっくりするほど苦いのである。

しかも、苦さの由来がすさまじい。牛をさばく少し前に苦味のある草を与えておき、さばいた牛の胃液も腸液も消化中の草もそのままスープに用いるのが苦さの秘訣だ…などと聞くと、開いた口がふさがらないと言うか、人間の発想力に限りはないのだなあと感動を覚える。

牛肉苦肝湯
他店の牛肉苦胆湯。辛そうな色だが、辛くはない。いや、少しは辛いのかもしれないが、苦さしか印象に残らない(笑)。

更に驚くべきことに、このスープが旨いのである。口に入れた瞬間こそ強烈な苦味が広がるが、その苦みは、あるところでスッと消える。あれほど苦かったはずなのに、舌にも苦みは全く残らない。むしろ残るのは、さっぱり爽やかな清涼感なのだ。

その清涼感と言ったら、他の料理の辛味や塩気や油っこさも含め、全てを一旦リセットするかのような鮮烈なもので、また一から食事を始められそうな気持ちにさえなる。

これが実に不思議で、ハマってしまう。「ウホ、苦い!!!」→「あれ…?さっぱり!!」を繰り返すうちに、だんだん苦さ自体が癖になってくる。苦さを楽しむ余裕が出てくると、スープに入った牛肉の旨さに気付く。全く脂身のない赤身肉にはミチミチとした歯応えと力強い旨味があり、サシが入った柔らかい牛肉ばかりが旨い牛肉ではないと思わされる。

牛肉苦肝湯
牛肉苦胆湯。この肉は、黄牛という肉牛の一種。脂身が少なく歯応えが強いが、とても旨い。

激苦スープをすすったあとでグイとあおる自烤酒は、甘味が一層際立って、最高に旨い。もち米を浸しても、同様だ。米の甘味が苦味との対比で鮮明になる。とりわけ素晴らしかったのは、牛肉苦胆湯に米線(雲南のライスヌードル)を入れたものだ。食べれば食べるほどすっきりしてきて、お腹は一杯のはずなのに、米線をたぐる箸が止まらなかった。

これほどの苦さを味覚の一つとして楽しんでいるところに、ダイ族の食文化の豊かさを感じる。強烈にして爽やかな苦さが、食事全体の中で素晴らしいアクセントを生み、西双版納の食卓を重層的にしている。

牛肉苦肝湯
米線入りの牛肉苦胆湯。この不思議な旨さは体験しなければ分からない。

こんな不思議な料理が生まれた背景には、西双版納の気候も関係している。牛肉苦胆湯には、体内の暑気を払う効果があるとされているのだ。

苦さのあとに得られる清涼感を一度体験すると、それが素直に信じられる。そもそもこれほど苦いスープが意外なほどすんなり身体に入っていくのは、身体がそれを欲しているからだろう。亜熱帯の西双版納において、このスープは清涼剤の役割も担っているのである。

その土地の風土と料理の間には密接な関係があり、その土地で食べなければ理解できない味がある。そのことが自然と腑に落ちる料理だ。

ちゅるりプリプリ、ミチミチ、シャキッ!米線(米线/ライスヌードル)

米線
西双版納の米線。これは星の数ほどある完成形のひとつでしかない。

僕が西双版納で一番に惚れ込んだのが、米線(ミィシィェン)だ。滞在中は毎日食べた。今後、数ヶ月単位で長期滞在する機会があったとしても、毎日食べると思う。それほどに気に入っている。

米線とは、雲南省で食べられている、断面が丸型のライスヌードルである。現代では様々な製法があるが、簡単に言うと、米を挽いてから柔らかな餅のように成形したものを、ところてん式に熱湯の中へ押し出して茹で固め、麺状にしたものだ。西双版納に限らず、雲南省では広く食べられている料理である。

西双版納の米線は、一見、地味極まりない。基本形は、澄んだ排骨湯(豚骨ベースのスープ)に米線が沈み、炸醤(豚の肉味噌)と青葱が申し訳程度にのっただけのシンプルなものだ。そこに豚肉、牛肉、猪血(豚の血プリン)、鴨血(アヒルの血プリン)といった具を追加することもできるが、地味な印象は変わらない。

米線
西双版納の米線の基本形。専門店で単に「米線」と告げれば、これが出てくる。

だが、これは完成形ではない。店の一角には、十数種類の薬味や調味料が並んだ台が必ず用意されていて、全て客の入れたい放題になっている。そう、西双版納の米線は、客自身が様々な薬味をトッピングし、自分好みの味に仕立てて初めて完成するのだ。このカスタマイズの楽しさこそが、大きな魅力なのである。

トッピングの選択肢は、目を見張るほど豊富だ。塩、醤油、黒酢、豆豉、唐辛子粉、辣椒醤(発酵唐辛子ペースト)などの基本調味料の他、大根の漬物、唐辛子の漬物、トマトの漬物、高菜に似た古漬け、唐辛子と和えた白菜やキャベツの漬物、茹でたもやしとニラ、香菜や青葱や各種香草を刻んだもの、ドクダミの地下茎の黒酢漬け、酸味のある謎の汁などなどなど。

米線薬味
米線のトッピング。どれを入れようか。目移りしてしまう。
米線薬味
店によって、トッピングの数や内容は異なる。

これらを心の赴くままに足していく。欲張って全種類のせるもよし、敢えて1~2種類に絞るもよし。ルールなんてないが、慣れないうちは、周りの客のチョイスを観察するのもひとつの手だ。では、ここで様々なカスタマイズ例をご覧いただこう。

米線

ニラともやしをたっぷり入れ、大根の漬物と青菜の辛味漬けを配してみた。

米線

鴨血(アヒルの血プリン:写真左)の存在感を前面に押し出し、薬味はニラともやしと香草に絞った。

米線

ニラともやしに各種香草を加え、トマトの漬物と大根の漬物に酸っぱい汁も加えて、酸味を強調してみた。

米線

辣椒醤や辛味肉味噌の辛味を効かせて、青菜の古漬けでコクをプラス。シンプルだが刺激的なあつらえに。

米線

具は牛バラ肉。青菜の辛味漬け、唐辛子粉、酸っぱ辛い汁を入れてスパイシーに。

米線

目に留まったトッピングを全部のせ。色々な味が混じり合うのを楽しむコンセプトだ。

どうです、どれも旨そうでしょう。ふふふ、実際はその想像の100倍旨いのだ。さあ、いただきます!

真っ白な米線をずずっとすする。米線にからんだ肉味噌や薬味も一緒に頬張る。ちゅるりプリプリ、ミチミチ、シャキッ。まずは、様々な食感が軽快な流れを生む。そこに香草や漬物の香りがぶわんぶわんと加わり、流れは奔流となる。さらに肉味噌の香ばしさ、漬物の酸味、唐辛子の辛味やその他諸々の旨味が広がって、大きな渦となる。一杯の碗が、口の中で食感と香りと旨味の小宇宙に変貌していく。

全てが渾然一体になったかのようで、だが意外にも、薬味ごとの特徴がはっきり感じ取れる。味の要素は無数にあるのにしつこさは微塵もなく、むしろ後味は爽やかですらある。ここに西双版納の米線の凄味がある。

思うに、スープも具も薬味も、完成形を見越して味付けが設定されている。スープは、塩味すらあるかなきかのようなあっさり味だ。醤油味の肉味噌だって驚くほど薄味だし、各種漬物も手間暇かけて発酵させた手作りの味がする。

ここでは都会でありがちなお手軽で過剰な味付けの出番はない。だからこそ、様々な要素を重ね合わせても、しつこくならない。それぞれの要素がそれぞれの持ち場で華やかに活きるのだ。

その日の気分で具や薬味の組合せを変えられるので飽きようがないし、肉と米だけでなく野菜もあれこれ採れるので栄養バランスもいい。それより何より、とにかく旨い。これぞ理想の麺料理だ。僕が滞在中毎日食べていたというのにも、ご納得頂けるだろう。

詳細は省くが、実をいうと麺とスープにもバリエーションがあるので、更に選択肢は豊富で複雑になる。

米線

きしめんタイプの米干。米を挽いた液を板状に蒸し上げ、包丁で細く切ったものだ。

米線

更に幅広なものは、寛米干と呼ばれる。他にも、麺が「生か乾燥か」などで選択肢は分岐していく。

米線

薄ピンク色のスープは、ピーナッツを挽いた花生湯。香り高く、穏やかなコクが魅力だ。

米線

豆漿(豆湯)は、豆乳スープ。豆の風味が豊かだ。動物性のダシがなくとも、満足感は高い。

ちょっとした旅行で全てを制覇することなどとても無理で、毎食何を頼んで何を組み合わせるか悩むことになるのだが、これこそ嬉しい悲鳴というやつではないだろうか。

手間より効率を重んじ、濃い味に濃い味を重ねて「濃厚な味わい!」と喜ぶのが都会の嗜好だとするならば、それとは真逆の哲学が西双版納の米線の味を支えているように思う。一杯の碗が織り成す小宇宙を、皆さんにも是非ともお試し頂きたい。

次回予告:広東省広州市で食べるべき料理3選(820日更新予定)


text & photo 酒徒