中国料理FROM天台山!当企画は、2021年にオープンした中国浙江省の山岳リゾートホテル「星野リゾート 嘉助天台(かすけてんだい)」総料理長・山口祐介さんの中国食探訪記です。仏教の聖地・天台山から、ここに住み、食を生業として働く料理人の目線で見た《中国の食》をご紹介します。★1回目から読む方はこちらからどうぞ!

★福建の旅前編「海鮮が呼んでいる!長崎ちゃんぽんのルーツに出会う福建省福清市」から読む方はこちらからどうぞ。

中国料理で、圧倒的に贅を尽くしたスープといえば佛跳墻(ぶっちょうしょう|fótiàoqiáng|フォーティャオチァン ※佛跳牆の表記もありでしょう。

丸みを帯びた壺の中に、干し鮑、ふかひれ、なまこ、魚の浮袋、干し貝柱などの高級乾物がぎっしり。仕込みには何日もかかり、長時間かけて山海の美味から食材のエキスを抽出したスープは、幾重にも旨みが折り重なる贅沢なうまみに満ちています。食べることが好きな方なら、きっと一度は味わってみたい料理ではないでしょうか。

佛跳墻の器。

中華料理人の視点からみても、こうした料理には憧れがあるものです。事実、僕が20代の頃は、乾物がきちんと扱えるようになるのが夢でした。なぜなら、見習いの料理人が高級な乾物を扱える機会はなく、仕込みから調理まで、料理長がやることを指をくわえて見ているだけだったからです。

振り返ると、“乾物仕事”に魅せられ始めたのは約20年前。都心の高級ホテルに転職し、乾物の戻し作業を担当させてもらえるようになったことで、僕はその世界の扉を開きました。

現場で学んだのは、ふかひれや干し鮑、なまこなどにも沢山の種類があり、戻し方にも様々な方法があるということ。加えて、目利きも非常に重要であることを当時の料理長から教えていただきました。

乾物は自然界にあるものなので、1つ1つに個性があります。実際に扱ってみると、それぞれ戻り方も違えば、食感も異なり、心を込めて的確に戻し作業を行えば、その気持ちに応えるかのように、立派に戻ってくれるのが“乾物仕事”の醍醐味。

やるほどにに魅せられ、産地を訪れたり、専門書などを読んで調べているうちに、これはなんとしても食べてみたい…!と思う料理がありました。それが冒頭に申し上げた乾物のスープ、佛跳墻(ぶっちょうしょう|fótiàoqiáng)」

現在は中国全土を代表する料理となっていますが、そのルーツは福建省。なかでも発祥の店として名を馳せているのが、今回ご紹介する『聚春园(聚春園|じゅしゅんえん|jùchūnyuán)』です。

100年続く名菜!紹興出身の女性と鄭春発の手腕で生まれた、佛跳墻誕生ストーリー

今回の福建旅行の目玉でもある『聚春園』は、福建省の省都・福州市にある老舗のレストラン。その近くには三坊七巷(サンファンチーシァン|sānfāngqīxiàng)という古い街並みを残した観光地がありますが、こここそが福州の歴史と文化発祥の地とされています。

福州市の三坊七巷(サンファンチーシァン)。

佛跳墻の誕生のエピソードには諸説ありますが、かつて街の北側には楊橋巷官銀局(貨幣鋳造の金融機関)があり、清朝(1644-1912年)末期、ここに勤める役人が、布政司長官(現在の省のトップに匹敵する地方官僚)の周連を自宅でもてなしたのがきっかけといわれています。

このとき、浙江省紹興出身の夫人が作ったのが、鶏や鴨など二十種類以上の食材を年代物の紹興酒の甕の中に入れて調理したスープ料理でした。周連はこの料理をいたく気に入り、お抱え料理人の鄭春発に作らせましたが、何度やっても上手くいきません。そこで周連は鄭春発を夫人のもとに送り、作り方を学ばせることにしたのです。

晴れて料理をマスターした鄭春発は、のちにお抱え料理人を辞し、福州のレストラン『三友斋』に移ります。さらにこの店の経営権を持った彼は、店名を『聚春園』に改め、あのスープに独自のアレンジを加えて「福寿全」という名前をつけて売り出すことに。

そんな折、文人の集まりに「福寿全」を出すと、1人が「こんなによい香りが漂ってきたら、お釈迦様だって戒を破り、垣根を跳び越えて食べに来ずはいられないよ」というではありませんか。すると、それを聞いたもう1人の文人が、こんな漢詩を詠み上げました。

坛启荤香飘四邻(罎啓葷香飄四鄰)
佛闻弃禅跳墙来(佛聞棄禪跳墻来)

(読み方)
tán qǐ hūn xiāng piāo sì lín
fó wén qì chán tiào qiáng lái

(訳)
罎をあけるとなまぐさの香りあたりにただよい、仏は匂いをかいで禅を棄て、かきねを跳び越えてやって来る。

ここから鄭春発は、料理名を「福寿全」から「佛跳墻」に改めて、店の名物へと育て上げます。鄭春発は、料理人としての才能もあったのだと思いますが、経営手腕も相当なものですよね。以来、100年以上にわたりこの料理が受け継がれ、今では日本でも知られるようになるのですから。

『聚春園』の壁に描かれた佛跳牆制作の様子。

どの乾物もハイクオリティ!高いけれど安く感じる『聚春園』の佛跳墻

そんな歴史ある『聚春園』は、福州市の東街口という賑やかな街の一角にあり、ホテルも併設された立派な店構えのレストランでした。

『聚春園』外観。20年以上も前から行きたいと思っていた店にようやく行けました。

名物の佛跳墻は食材のランクによって2種類の価格があり、それぞれのランクで1名分ずつ壺に小分けされたものか、10名分が大きな壺に入ったものかが選べます。

僕たちが注文したのは上のランクで、事前予約が必要な1人前798元の佛跳墻。今のレートで1元20円くらいなので、約15,960円といったところ。なかなかの金額ですが、一緒にきた厨房チームに安いものを食べさせるわけにはいきません。

お酒は福建の地酒を3種類持ち込みました。左と中が「青紅(チンホン)」の年数違い、右が「閩江老酒(ミンジャンラオジュウ)」。地元の人に言わせると、福建人でこれ(閩江老酒)を飲む人はいないよ、料理酒だ」とのこと。

そして佛跳墻といえばこのかたちの蓋がおなじみ。さっそく開けると…

中にぎっしりと高級乾物が詰まっていました。これはなかなかのボリュームです。スープだけで200ccくらいあるのではないでしょうか。

まずはふかひれを箸で引き出すと、アオザメのような太い金糸で、食べごたえがあるものがしっかりと入っています。ふかひれの品質はピンキリの中国ですが、これはかなりの上物です。

さらに器の中には、しっかりと棘のあるなまこ、干し鮑、鹿のアキレス腱、浮き袋、干し貝柱、干し椎茸など。いずれも大粒のものばかりで、鳩の卵なども入っています。

なまこはしっかり棘のあるタイプ。日本でいう北海なまこで、中国ではこのかたちが高級とされます。

干し鮑は50~60頭(乾物600gあたりの個数)のものが1個ずつ。ちょうどいい戻り加減で、蓄えられたうまみはもちろん、むっちりとした食感が絶妙です。

干し鮑。
魚の浮袋。
鹿のアキレス腱。ぷるぷるのコラーゲンの塊。

具は食べ進むうちに滋味深く、塩味はやわらか。そして入っている乾物のクオリティがどれもこれも高い…!スープ単体の値段は高額かもしれませんが、この品質の乾物を揃えてこの値段はむしろ安い。食べながらそう思えてきました。

こうなると、下のランクとどう違うのか、職業柄気になってくるものです。そこで予約なしでも食べられる498元(約9,960円)の佛跳墻も追加注文することに。違いは具の種類と乾物のランクの違いですね。ベースのスープには大きな違いはなく、これはこれでおいしかったです。

1杯498元(約9,960円)の佛跳墻。

どちらにも共通していたのは、ともかく乾物が素晴らしいこと。1つ1つの戻り具合に「これはいいけどこれはイマイチ」というものがなく「全部いい」。佛跳墻は冷凍食品なども多く出回っており、粗悪品も多々ありますが、すべてがきちんとおいしいことに感動しました。

ちなみに佛跳墻を日本で食べる場合、琥珀色で透明感のあるスープがでてくることが多いようです。その理由は、最初から蒸して加熱するためだと思われます。一方『聚春園』では、まず直火で煮た後、小分けの壺に入れて蒸していました(大きい壺は紹興酒の甕に似た器に具を入れて、直火で煮ています)。

また、スープの色は深い茶色で、福建老酒がふんだんに使われていることがわかります。この酒が非常に大切で、酒、香辛料と、乾物の香りが渾然一体となった香りが、他にない味わいを醸し出していました。

『聚春園』店内のディスプレイ。

伝統的な佛跳墙は何が使われている?『中国名菜譜』南方編に見る具の種類

中国を東西南北に分けて伝統料理を紹介している『中国名菜譜』の南方編には、佛跳墻が改名する前の「福寿全」の作り方が載っています。

レシピに記されている具は17種類あり、乾物はふかひれ、魚唇(ふかの縁側)、なまこ、貝柱、鮑、魚の浮き袋、どんこ、豚のアキレス腱。生の食材は火腿(ハム)、肥えたアヒル、肥えためんどり、鶏砂肝、羊のすね、豚胃袋、冬たけのこ、豚アキレス腱、大根、卵が入っています(スープをつくる食材はさらに別に用意します)。実際、店で出された壺の中に17種類はありませんでしたが、出す前に取り除かれるのもあるのかもしれませんね。

また、それぞれの乾物は戻して適切な下ごしらえをした後、炊いてから紹興酒の甕に入れてとろ火で煮ると書いてあります。さすがに甕を丸ごと蒸すことはできませんから、やはり元来は煮る料理だったのでしょう。

今も高級な宴席ではこの巨大な甕を使って作られるそうです。

『聚春園』で他に注文した料理は、酢豚の一種である茘枝肉や、福建名産の紅麹をベースにした調味料・紅糟(ホンザオ)で炒めたつぶ貝の炒め、福建名物の光餅、焼き米粉など。現代的な料理では、生のつぶ貝に熱々の上湯(シャンタン)を注いでサッと火を通すスープもいただきました。

つぶ貝の炒め。
茘枝肉。
光餅。
生のつぶ貝に、保温した熱々のスープを急須から注ぎ、貝にサッと火を通すスープ料理。

福建省は「十湯十変(シータンシービェン:shítāngshíbiàn)」、10のスープがあれば10の味がある」といわれる地域。佛跳墻の味を守り続けている『聚春園』を訪れたことで、その奥深さに少しでも触れることができたように思います。

なかでも佛跳墻は厨房メンバー満場一致のおいしさ!期待を裏切らない味わいで、無事憧れの店を後にしました。


語り・写真:山口祐介
聞き手:サトタカ(佐藤貴子)