この記事は、四川省の省都・成都市の文化情報発信サイト『Go Chengdu』の連載「川菜一番」の日本語版です(中国語版はこちら)。「外国人が見た四川料理」をテーマに、80C編集のサトタカが成都の美食を日中のメディアで発信します。 |
辛くなくても汁がなくても、火鍋は火鍋である。
火鍋と聞いて、みなさんはどんな光景を思い浮かべるだろうか。友人たちに問うと、多くは赤白二色のスープが入る鴛鴦鍋を思い浮かべるようだ。片方は香辛料の効いたスパイシーなスープで、もう片方は白か半透明の辛くないスープが入るあの火鍋だ。
しかし、そもそも中国で火鍋(フオグオ)とは鍋料理全般を指す。北京や天津をはじめ、中国北方で愛される涮羊肉(羊しゃぶしゃぶ)も、東北地方の豪快な大鍋料理も、広東省の潮州牛肉火鍋も、貴州省の豆豉火鍋も、四川省や重慶市の麻辣火鍋も、鍋を火にかけながら食べる料理はすべて火鍋である。
なんなら汁がなくたって火鍋だ。炒め煮のようなものを鍋に入れ、火にかけながら食べる料理は干鍋(乾鍋:ガングオ)といい、酒のアテに大人気。汁がないため、さまざまな具を入れて煮るのではなく、カエルや鶏肉など、主食材が決まっていることが多い。
ではなぜ日本では、火鍋=赤白二色のイメージが定着したのだろう。そのきっかけは、今からおよそ20年前に遡ると考えられる。
スープが飲めてタレ要らず。モンゴル系薬膳火鍋優勢の2000年代
振り返ると、西暦2000年初頭から2010年にかけては、3つの中華系火鍋チェーン店が相次いで日本にオープンした時期だった。
まず、中華圏に本店を構えるチェーン店としていち早く進出したのが「天香回味(テンシャンフェイウェイ)」だ。台北発の薬膳火鍋の専門店で、赤白のスープはチンギスハーンが愛したモンゴルの鍋をイメージして開発。スープは飲んでおいしく、たれをつけずに食材を煮るだけで美味!というのがウリで、日本一号店は2002年12月24日にオープンした。ちなみに台北の本店も同年の2002年に開業している。
それに続いてやってきたのが、内モンゴルの包頭市に本店を構える火鍋チェーンの二大巨頭だ。愛らしい羊のロゴマークが印象的な「小肥羊(シャオフェイヤン)」は2006年10月、渋谷センター街にオープン。翌2007年4月に「小尾羊(シャオウェイヤン)」がオープンしている。
それ以前に火鍋を出す店もあったが、複数店舗展開する店のインパクトは強い。結果的にこの時期は、火鍋=鴛鴦鍋のイメージを作った第一次火鍋出店フェーズだったといえる。
また、これら3つのチェーン店は、いずれもモンゴル系の火鍋を謳っているのが共通点。赤と白両方のスープが楽しめる鴛鴦鍋が基本で、スープには複数の生薬を使う、たれなしタイプといえる。
この“スープが飲める火鍋”が、日本市場にフィットした。出汁文化のある日本では「汁は飲むもの」という認識があり、雑炊や麺で鍋を締めるというマインドもある。もしこれが飲めないスープであれば、複数店舗展開をしながら、長く生き残れなかったのではないだろうか。
四川の黒船到来!2015年から始まる麻辣火鍋チェーンの台頭
そんな日本に、四川省発の麻辣火鍋チェーン「海底撈(ハイディラオ:かいていろう)火鍋」が池袋にやってきたのは2015年のことだった。同店は中国でサービスのよさで知られており、前年の冬には、出店の噂が在日中国人の間で話題になったほど。
店はオープンしてしばらく、中国人やコネクションのある人しか予約が取れない状況が続き、集客は大成功。麻辣の味わいは日本人客におもねることなく、日本人をターゲットにしなくても、中華系飲食はやっていけるということが明らかになったという点でも「海底撈火鍋」1号店のインパクトは大きかった。
この「海底撈火鍋」のオープンを皮切りに、東京は第二次火鍋出店フェーズに突入する。2015年以降の動きがそれ以前と異なるのは、四川省成都発の麻辣火鍋チェーン店が進出してきたことだ。
主な店では、2019年6月、成都に本店を構える「蜀大侠」の海外一号店が横浜伊勢佐木町にオープン。同じく成都発の巨大チェーン「譚鴨血老火鍋」が2020年歌舞伎町に姿を現す。また2021年2月には、中国の中国の人気俳優・陳赫(チェンフー)らが率いる芸能人プロデュースの「賢合庄」が、中国人留学生の多い高田馬場に1号店を出店した。
これらはどこも“まんま現代中国”。本格的な麻辣火鍋がウリではあるが、開業間もない時期から中国全土、さらには世界展開も視野に入れているため、きのこスープやトマトスープといった辛くない鍋スープもあるのが現代的ともいえる。
それでいて、基本の麻辣火鍋は現地仕様で手加減なし。では、麻辣火鍋とはいったいどういう作法で食べるものなのだろうか。続くページでは、本場四川省でも省都の成都と、発祥の地・重慶の違いも交えて麻辣火鍋をご紹介したい。