横浜中華街は文化の飛び地だ。歴史を振り返れば、江戸時代末期の1859年(安政6年)に横浜が開港。山下町という限られた地域に華人が集まり、独自の文化やネットワークを築いてきた。
なかでも中国の開放改革以前に横浜に移り住んだ老華僑は、震災、戦火など幾多もの困難を乗り越え、世代を超えてこの地に根を張っている。特に“食の中華街”というイメージを創り上げたのは「食は広州にあり」という言葉の通り、広東省出身の華人たちだ。
ここは本当に令和の日本?扉を開けて40年前にタイムスリップ
2024年6月22日、満月の日に開催された「廣東官府菜」の会は、そんな広東華僑の伝統と文化を感じるものだった。
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「官府菜」とは、明や清の時代に花開いた高級官僚の接待料理のこと。主催は80C(ハオチー)で横浜中華街の連載をしてくれたぴーたんさんで、「大珍楼」陸会長との数ヶ月にわたる調整を経て、この日で3回目を迎える宴会だという。
会場は、1947年に開業した老舗の広東料理店「大珍楼」5階にある貴賓室。ここで、扉を開けて驚いた。なぜなら、飾り付けから何から、広東省のちょっと田舎で開かれているような、立派な宴そのものだったから。
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その光景は、1982年(昭和57年)に出版された名著『中国名菜集錦』などで見るような料理本の中の世界。足を踏み入れるやいなや、40余年前の広東省にタイムスリップしてしまった。
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明清時代に花開いた高級官僚の接待料理「官府菜」の宴
この日のメニューは、仔豚の丸焼き、佛跳牆(ぶっちょうしょう)、熊の掌の煮込み、伊勢エビの炒め、アカハタの蒸しもの、鶏のおこわ詰め、パパイヤと燕の巣のデザートスープ、点心の盛り合わせなど文字通りのご馳走尽くし。
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それもそのはず、もともとこの宴会は「満漢全席」の再現を想定しており、メニューは陸会長自ら組み立てたもの。
広東省仏山市高明県出身の陸会長は、ここ横浜中華街で広東家郷菜(広東省に根付く家庭料理)を推していた時期もあり、伝統的な広東料理への思い入れは深い。
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なかでも広東料理の底力を感じたのは、焼味(肉や家禽のロースト料理)と湯(スープ)だ。次のページでは、これらの料理を重点的にご紹介しよう。