この記事は、四川省の省都・成都市の文化情報発信サイト『Go Chengdu』の連載「川菜一番」の日本語版です(中国語版はこちら)。「外国人が見た四川料理」をテーマに、80C編集のサトタカが成都の美食を日中のメディアで発信します。 |
中国料理の味わいを表現する言葉に、家常(ジャーチャン|jiācháng)という言葉がある。家庭風という意味合いだが、四川料理における家常は、豆板醤(豆瓣醤 ※以降、日本式の表記である豆板醤と記す)を使った味わいであることが多い。
豆板醤は「川菜之魂(四川料理の魂)」といわれる。日本でもおなじみの麻婆豆腐や回鍋肉はもちろん、魚を煮込んだ豆板魚、煎り焼きした豆腐を煮込んだ家常豆腐、芋と鶏肉をこっくりと煮込んだ芋儿焼鶏など、豆板醤を使った四川料理は枚挙にいとまがない。恐らく、名もなき家庭料理もあるだろう。
日本の場合、“辛さのちょい足し”に使われることも多いので、そう言われてもピンと来ないかもしれないが、豆板醤は味噌の一種だ。日本でも味噌が料理の味を決めるように、豆板醤も味の要。コク、うまみ、塩味、香りを加えることができる発酵調味料として、四川省では家庭に常備されている。
そもそも味噌とはなにかというと、穀物に塩を加えて発酵・熟成させたペースト状のものだ。
日本で多く食べられている米味噌の場合、蒸した大豆に、塩と米麹を加えて発酵・熟成させるのが一般的だが、伝統的な豆板醤は、蚕豆(そらまめ)を原料とした甜豆瓣(ティエンドウバン)を使い、塩と刻んだ赤唐辛子を加え、半年~数年という長期熟成を経て作られる。
この甜豆瓣とは、わかりやすくいうと蚕豆麹(そらまめこうじ)をさらに発酵させたものだ。蒸した大豆に麹を加えて熟成させるのではなく、麹化した豆すべてを長期熟成させるという点で、豆板醤は八丁味噌に代表される日本の豆味噌の製法と似ている。しかし、“豆板醤のもと”となる甜豆瓣づくりには、恐ろしいほど時間がかかる。
甜瓣子に約1年、熟成に数年。スローな豆板醤の作り方
成都にある四川料理の博物館「川菜博物館」で伝統的な豆板醤の製法を記録した『尋味記』によると、豆板醤づくりには2本の柱がある。ひとつは蚕豆麹(そらまめこうじ)をさらに発酵させた甜瓣子(ティエンバンズ)、もうひとつは刻んだ唐辛子を発酵させた剁椒(ドゥオジャオ:剁辣椒とも)だ。
甜瓣子は、乾燥させた蚕豆をゆで、全体に小麦粉をまぶして麹化したものを、塩水に浸して日々混ぜ合わせること3~4か月。日夜晒し、約1年を経てできあがる、赤褐色の“豆板醤のもと”。
一方、剁椒は新鮮な二荆条唐辛子を刻んで塩を加えて発酵させたもの。1年がかりで仕込んだ甜瓣子に、この剁椒を入れて熟成させるのだが、さらにここから最低1年、長くて5年の月日を要するのだ。
ちなみに中国のウェブなどで紹介されている豆板醤の作り方には、霉豆瓣(メイドウバン:蚕豆麹)、刻んだ生唐辛子、生姜などの香味野菜、青花椒、白酒、油、水などを加えて数週間置いて完成させるレシピが見られる。これは蚕豆麹に調味料を加えてつくる即席味噌のようなもので、長期熟成させるものとは性質が異なる。
また、日本で紹介されている豆板醤の作り方には、生の蚕豆を蒸して、米麹、粉唐辛子、塩を加えて発酵させるレシピが見られる。実際にその製法で作ってみると、米麹と国産蚕豆の持ち味からか、どこか日本の味噌に近い味わいとなるようだ。
やはり日本の味噌同様、豆板醤も風土が育む味である。地域、作り手、唐辛子の種類やブレンド、唐辛子の挽き方、熟成時間、製法には違いがあり、風味もさまざま。発酵後期に干しエビを加えた「金鈎(ジンゴウ)豆板醤」や、ごま油を加えた「香油(シャンヨウ)豆板醤」などもあり、実に奥が深い。
偶然できた!? 郫県豆板醤のルーツ
さて、そんな四川名産の豆板醤のなかでも、ブランドとして広く知られているのが郫県豆瓣(郫县豆瓣|ピーシェンドウバン|píxiàndòubàn)である。
これは四川省成都市郊外にある郫都区(旧自治体名:郫県)で作られた豆板醤で、2008年にはその伝統製法が中国国家級非物質文化遺産に認定されたもの。日本では、郫県豆板醤(郫县豆瓣酱|ピーシェントウバンジャン)として小売でも販売しており、中華のプロ御用達でもあるのでご存じの方も多いだろう。
これがおもしろいことに、蚕豆に唐辛子の入った豆板醤は、意図的につくられたものではなかったらしい。諸説あるが、歴史を遡ること17世紀後半、福建省西部から郫県に移り住んだ陳逸仙が、湿って菌の生じた蚕豆に唐辛子を混入させ、捨てずにおいたのがきっかけとか。
のちに子孫となる陳守信が、腐乳の作り方をヒントによりよい発酵方法を模索。19世紀半ばには蚕豆に小麦粉を加えて蚕豆曲(曲=酒や酢づくりのもとになる麹のようなもの)を作り、そこに刻んだ唐辛子を加えて熟成させる、郫県豆板醤の製法の原型ができたという。
2004年、郫県へ豆瓣醤の旅
そんな豆板醤のふるさとに興味を持ち、私が郫県を訪れたのは2004年のこと。季節は3月。走っても走ってもひたすら菜の花畑が続く景色の先に、歴史あるブランド「鵑城牌(鹃城牌)」の豆板醤を製造する「益豊和號(益丰和号)」の工場はあった。
敷地に入ると、目に飛び込んできたのは数えきれないほどの壺。ふと目を凝らすと、男性が1人、合気道で使う杖(じょう)のような棒を、何度も何度も壺に差しているようだ。
近寄ってみると男性は、先端に小さな円盤がついた専門の道具で、熟成中の豆板醤をかき混ぜていた。晴れた日は蓋を開けて天日に晒し、雨の日は蓋をして寝かせ、昼はかき混ぜ、夜は露を浴びて、郫県豆板醤は自然とともに呼吸を繰り返して作られることを、ここに来て初めて知った。
聞けば、一般的な豆板醤は半年もすれば出荷されるが、この工場の郫県豆板醤は最低でも1年は熟成させるという。日本に出荷されている3年熟成はさらに上等で、ほぼ市場には出回らないものの、5年熟成させるものもあるそうだ。
それぞれ食べ比べさせてもらうと、色とまろやかさがまるで違う。熟成が進むにつれて、唐辛子の辛さの角がとれ、水分が抜け、深いうまみへと変化していくのだ。
この工場は、郫県豆板醤のルーツを作った陳家ゆかりの施設でもあり、外には「益豊和號」の看板を掲げた小さな醤(ジャン)の店があった。きれいにパッケージ化されたものも売っていたが、量り売りもしていたのが印象に残っている。
また、この工場で特級の郫県豆板醤をお土産にいただいたのはいい思い出だ。当時の日本では、今のように四川省の食材を手軽に手に入れることはできなかったので、料理好きにとっては宝物のようなもの。もったいなくて少しずつブレンドして使ううちに、冷蔵庫の中で18年経ってしまったのは冗談ではない。
現在は水分が完全に抜け、キラキラとした結晶状になっており、もはや秘薬か漢方かふりかけか。時々これをおまじないのように、今も料理に時々入れては楽しんでいる。
麻婆豆腐もいいけれど、川味牛肉麺もおすすめです
最後に豆板醤の使い方だが、四川省では、基本的に油で炒めて香りを出してから、肉や野菜と一緒に炒めたり、水やスープを加えて煮込む。唐辛子を炒めると香りが出るように、豆板醤も炒めたほうが香り立ち、おいしさも数倍増しとなるので、これは忘れずにやってほしい。
また、郫県豆板醤のように濃く深い風味の豆板醤は、それ単体ではなく、熟成が浅めの豆板醤と合わせて使うといい。その理由は、全量を郫県豆板醤にすると重ための味わいとなり、素材の風味を活かしにくくなるからだ。ブレンドすると色も鮮やかに仕上がる。
ちなみに私が日常的に使っているのは家常豆瓣醤。家常とは家庭風という意味合いで、菜種油がブレンドされており、適度に軟らかくて使いやすい。
また、日本で紹介されている豆板醤の使い方は、前述のように「ちょい足し」が多いので、余らせてしまう方も多いと思う。
そこで冷蔵庫の不動在庫になりそうだと思ったら、ぜひおすすめしたい料理が川味牛肉麺(四川風味の牛肉麺)だ。作り方は、牛スジや牛バラ肉をゆでて下処理し、炒めた豆板醤と香辛料とともに煮込んでコクのあるスープをつくり、麺を入れるだけ。
肉を煮る時間はかかるが、視点を変えれば煮込む時間も香りもまるごと御馳走への助走になる。特に冷え込むこれからの季節は、身体を中から温めてくれるはず。豆板醤の本領を発揮させるためにもおすすめの一品、ぜひこの冬お試しあれ!
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TEXT&PHOTO サトタカ(佐藤貴子)