これを読めば中国各地の食文化がわかり、中国の地理に強くなる!『中国全省食巡り』は、中国の食の魅力を毎月伝える連載です。
◆「食べるべき3選」の選択基準はコチラ(1回目の連載)でご確認ください。
ライター:酒徒(しゅと)何でもよく飲み、よく食べる。学生時代に初めて旅行した中国北京で中華料理の多彩さと美味しさに魅入られてから、早二十数年。仕事の傍ら、中国各地を食べ歩いては現地ならではの料理について調べたり書いたりしている。中国生活は合計9年目に突入し、北京・広州を経て、現在は上海に在住。好きなものは、美味しい食べものと知らない食べものと酒。中国全土の食べ歩きや中華料理レシピのブログ『吃尽天下@上海』を更新中。Twitter:@shutozennin

今月の「中国全省食巡り」の舞台は、湖南省の省都・長沙市だ。市内の中央を長江の支流である湘江が縦に貫いている。その先には、淡水湖として中国第二の大きさを誇る洞庭湖がある。古来、水資源が豊かで、肥沃な土壌と豊かな水産物に恵まれた土地だ。

その歴史は古く、キングダム風に言えば楚国、三国志風に言えば荊州の一部だ。また、項羽を倒して劉邦が築いた前漢時代には、建国の功臣・呉芮が長沙国王として治めた土地でもある。

1972年、長沙国の初代宰相の陵墓(いわゆる馬王堆漢墓)から、死後2000年以上経ったにもかかわらず瑞々しさを保った宰相の妻の遺体が発見されたときは、考古学史上の大発見として世界に衝撃が走った。

長沙は、近現代史との関わりも深い。孫文とともに辛亥革命の立役者となった黄興のほか、劉少奇、朱鎔基、胡耀邦など、新中国でも著名な政治家を多数輩出している。また、建国の父・毛沢東は、長沙のお隣の湘潭で生まれ、青年期を長沙で過ごした。2009年、長沙市内の橘子洲公園に完成した青年期の毛沢東像は、開いた口が塞がらないという意味で、一見の価値ありである。

橘子洲公園の毛沢東像。コメントは差し控えます。 / photo by Shutterstock.com

さて、料理に話題を移そう。湖南料理を一文字で表すなら、きっと「辣(辛い)」の字が選ばれることだろう。

日本で辛い中華料理の代名詞とされる四川料理の辛さは、その実、花椒のしびれと唐辛子の辛さが合わさった「麻辣」が基本だ。一方、湖南料理の辛さは、より純粋に唐辛子の辛味を用いる。しかし、生唐辛子の「鮮辣」、干し唐辛子の「干辣」、発酵唐辛子の「酸辣」など、唐辛子から生み出された様々な「辣」を組み合わせるところに妙味がある。

一説に、湖南人は一年に一人50kgの唐辛子(生および乾燥の合計)を消費するという。数字が大き過ぎてイメージが湧かないと思うが、一日当たりでは約136gになる。一方、日本人の消費量は一日当たり1gにも満たないという点から、湖南料理の激辛ぶりを想像して欲しい。日本での知名度はまだ低いが、中国では刺激的な味わいが若者を中心に人気を博し、十数年前から湖南料理レストランが全国を席巻している。

湖南料理のイメージは、唐辛子の「辣」!/ photo by Takako Sato

とはいえ、実はこんな説もある。それは……

「湖南料理が唐辛子を多用するのは確かだが、今ほど激辛な料理を食べていたのは、毛沢東の出身地周辺の限られた地域だけだった。しかし、新中国成立後、毛沢東への個人崇拝が高まるにつれ、省内の料理はどんどん激辛化していき、それが全国に広まった結果、湖南料理は全部激辛だと誤解されてしまった」

というものだ。面白い。唐辛子の赤は共産主義革命の赤だからこそ広まったのか、と納得したくなる説である。

では、実際現地ではどんな料理が食べられているのだろう。本当に激辛料理ばかりなのだろうか。かつて僕が長沙へ飛んだのは、この説に背中を押されてのことだった。その結果、どんな料理に出合ったのか、是非とも最後までご覧ください!

朝ごはんのド定番。長沙卓上三種の神器が威力を発揮!長沙米粉(长沙米粉/長沙式ライスヌードル)

あなたは知っているだろうか、長沙米粉の旨さを!

長沙へ飛んだ僕の心をまず捉えたのは、意外にも、米粉(ミーフェン:米の麺)だった。

湖南省は、かつて湖北省と合わせて「湖広熟すれば天下足る(この地域が豊作なら天下が満たされる)」と言われたほどの穀倉地帯で、今なお、米の生産量は全国有数の規模を誇る。米を原料とした米粉があったって何もおかしなことはないのだが、僕としては意外性があった。

というのも、この長沙米粉、米粉と言えば真っ先に名が挙がる桂林米粉(中国全省食巡り8ご参照のこと!)あたりと比べると、全国的な知名度は皆無に等しいからだ。

そもそも湖南省以外で長沙米粉を食べられる店自体がほとんどないようで、これまで北京・上海・広州で行った湖南料理店でも、長沙米粉が品書きに載っていたことはなかったと思う。

ところが、長沙人に言わせると、米粉は朝食に欠かせないものなのだそうだ。それどころか、湖南省全体でも米粉は広く親しまれていて、地域ごとに異なる名物米粉があるのだとか。いやはや、勉強不足でしたなあ。

では、長沙米粉の特徴とはなにか。長沙人は朝から激辛の米粉を食べるのだろうか。そんな先入観を抱きつつ専門店を訪れたところ、目の前に置かれた碗に驚かされた。だって、全然赤くないのだ。

碗全体に刻んだ芹菜(中国セロリ)と香菜が散らされていて、スープの表面には脂が浮いている。ずずっとスープをすすると、出汁は豚骨で、しっかりとした醤油味。熟猪油(ラード)を加えてあるようで、どっしりとした味わいだ。そして、辛さは微塵もない。いきなり「辛くない湖南料理」に出合って、僕はドキドキした。

面白かったのは、米粉の形状だ。湖南省では米粉を圓粉(ユェンフェン:断面が丸型)と扁粉(ビィェンフェン:きしめん型)に分類するのだが、長沙では後者の扁粉が主流。この扁粉が、旨かった。

扁粉。この厚さが独特の食感を生む。圓粉よりスープが染み込みやすいとも言われる。

米を挽いた液を薄い板状に蒸してから細く切るという製法は、広東の河粉やベトナムのフォーと同じだが、それらより分厚いところがミソで、この厚さがもちもちした独特の食感を生むのだ。その力強い食感はどっしりしたスープとの相性も良く、長沙米粉にしかない魅力になっていた。

具の多彩さも、長沙米粉の特徴だ。湖南省では米粉の具のことを碼子(マーズ)と呼ぶ。それは更に二つに大別され、あらかじめ作り置きするものは「蓋碼(ガイマー)」、注文が入ってから炒めるものは「炒碼(チャオマー)」となる。専門店ともなると、品書きには20種類以上の「碼子」が並んでいて、初心者の僕を大いに惑わせた。

多彩な品書き。これなら毎日食べに来ても飽きなさそう。

冒頭の写真は、最もスタンダードと言われる原湯肉絲粉(ユェンタンロウスーフェン)だ。肉絲(豚肉の細切り)と呼ぶには立派過ぎるほどの、角煮のような豚肉が具がのっていた(つまりこれは「蓋碼」だ)。

柔らかく煮込まれながら、程よい歯応えも残っていて、なかなかおいしい。味付けはしっかりした醤油味で、八角や肉桂など香辛料の風味も豊か。その風味が徐々にスープにも溶け込んでいき、一杯の米粉を起伏に富んだものにしてくれた。

肉絲と呼ぶには豪華な肉がのっている。

途中まで食べ進み、ふと卓上の調味料が気になった。湖南産の黒酢、辣椒粉(唐辛子粉)、刻んだ泡辣椒(唐辛子の漬物)が置かれている。この後も様々な店で見かけた「長沙卓上三種の神器(酒徒命名)」だ。

黒酢と辣椒粉(右)と刻んだ泡辣椒(左)。

その中でもやたら色鮮やかな辣椒粉に惹かれてスープに加えてみたところ、「!!!」。他地域の唐辛子と比較して、素晴らしく香りが良く、そして、もの凄く辛い! これぞまさに「香辛料」。どっしりしたスープの印象が一気に華やいだ。香りだけでなく辛さも鮮烈なところは、さすが湖南の唐辛子と言うべきだろうか。

鮮烈!この変化には驚いた。

うまいうまいと頬張りながら「やはり『辛くない湖南料理』なんて存在しないのか…」などとも思ったのだが、調べてみると、長沙米粉は出されたままの辛くない状態が本来の姿で、辣椒粉や泡辣椒はあくまで食べ手の好みで入れるものなのだそうだ。

このあたり「激辛化は割と最近説」を裏付けているようにも感じるが、どうだろう。ま、単なる食べ手としては、最初はそのまま食べ、途中で唐辛子を足して両方の味を楽しむのがきっと正解だ(笑)。

最後に、他の「碼子」も少し紹介しておこう。原湯酸辣粉には、辛子高菜と似たような感じの青菜と筍の漬物がのってきた。この漬物は激辛かと思ったが、意外にも辛さは穏やかだ。シャキッとした青菜と筍が辛味とともに米粉にからみ、また別の美味しさがあった。

原湯酸辣粉。これも「蓋碼」。

隣の客が食べていて実に旨そうだったので真似てみたのが、汁なし酸辣粉だ。これが当たり! 扁粉ならではのもちもちの食感がよりストレートに味わえた。また、途中で足した辣椒粉の鮮烈な香りと辛さも、ビビッドに伝わってきた。僕が行った店では品書きには書いていなかったが、注文時「干拌的(ガンバンダ)」と言えば通じる。

汁なし酸辣粉。全く汁がないわけではなく、米粉の底が浸る程度には入っている。
混ぜて混ぜていただきます!こりゃ旨いや!

過去の旅では残念ながらまで試す余裕がなかったのだが、そこは今後の旅での楽しい宿題としたい。

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